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ブログ - 禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(7)   緝熙庵内田慧純老禅子

禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(7)   緝熙庵内田慧純老禅子

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2020/5/22 16:00
(4)禅について②
 禅では、いくつかの調心法がありますが、日本の禅宗では普通、極めて単純な数息観を行うことが多いようです。心が乱れないよう、もろもろの煩わしい念慮が生じても、それを断ち切るように呼吸を数えていく観法です。
 元来、呼吸は身体の動静と深くかかわっているものですが、東洋の道では、印度に起こったヨガをはじめ、日本固有の各武道などいずれも呼吸を重視し、古くから呼吸法が工夫されております。息とは、息の緒、息の根、息を引き取るなどの用法から明らかなように、いのちそのものを意味しています。息が合う、息が長い、息を凝らすなどから、心をも指していることがうかがえます。
 禅では、この心身相関の接点である呼吸をまず調え、数息に全心身を集中し、なり切ることによって心を調えます。日常においても、息を数えたり深呼吸によって、心の安定を計った体験を多くの人がもっておりますが、禅では、座相を調えた当初、まず欠気一息の深呼吸を数回行い、続いて自然の呼吸に調息していきます。欠気一息とは、肺にたまっている息をまず全部吐き出してから、新たな息を吸いこむ東洋の深呼吸法であります。
 その後は、静かに自然の呼吸を行いますが、特に意識しなくても、次第に一呼吸が長くなります。吐く息が長く、吸う息が短い呼吸になって行きます。すなわち経文のなかで出息長、入息短と呼ばれる釈尊の呼吸法であります。
 このようにして、数息になり切った状態を数息三昧、呼吸三昧と呼びます。三昧という語は、日常でも読書三昧とか釣り三昧などと使われ、精神を集中し余念がないことを指します。禅ではもっと深い意味があり、正念の相続一貫、心境一如・物我不二、正受にして不受の三つの働きを統一したものとされています。
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