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ブログ - 禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(3)   緝熙庵内田慧純老禅子

禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(3)   緝熙庵内田慧純老禅子

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2020/4/5 10:48
(2)侘び茶の深化
 珠光の孫弟子の武野紹鴎は、この珠光流の茶の湯を実践し、さらに侘び茶へと深化させていきました。また若いとき、和歌を学んでいましたので、その教養が茶の和風化をさらに進めました。
 なお、さらに重要なことは、堺の南宗庵の大林禅師に師事して禅を学び、茶味と禅味が同一であることを体得したのです。
 紹鴎の残した有名な『侘びの文』には、「正直に慎み深く奢らぬ様を侘びという」とありますが、自在鉤、あるいは鉄瓶の水差、あるいは木を曲げた輪っぱの建水、竹の蓋置など、侘びの美、麁相の美をいちだんと深めて、座敷飾りを質素にしたのです。格式高く楷書のようにくずれのない書院の美に対し、山里の侘び住まいの草庵にみられる草の美を茶の湯の美として好んだわけです。
 『南方録』には、紹鴎が、侘びの心を新古今集藤原定家の歌「見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」で示したことが残っております。華やかで美しい花紅葉がすでに枯れはてた晩秋の夕暮に、人里はなれて一軒のあばら家がたたずむ景色、枯れ枯れした閑寂の世界、この趣きこそが侘び茶の心であるとしたのです。つまり、物質的なにぎわいを否定し、そのとらわれから脱した枯淡の境地、それは禅で言う無一物の境地といってよいと思いますが、それを茶の湯の心としたわけであります。
 また、紹鴎は、茶の湯は道を得るための行であると明確に規定していまして、それを、「一心得道の取り行ない、形の外の技」という言葉で表しています。茶を点る時は、順序、作法などの技法によって進められていきますけれども、そういう眼にみえてくる道具や寸法、所作、手順などの形にとらわれない、むしろそれらを超えたところの心の技の重要性を指摘したのです。茶の湯の精神性を強く主張したのです。
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