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ブログ - 禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(2)   緝熙庵内田慧純老禅子

禅と茶道 2茶道の成り立ちと茶禅一味(2)   緝熙庵内田慧純老禅子

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2020/3/25 15:21
(1)侘び茶の創始
 芸術的な風雅な遊びを楽しみ、東山文化を興した足利八代将軍義政は、いわゆる芸術上の顧問ともいうべき同朋衆の能阿弥とともに、書院広間での点茶の方式を定めました。この書院の茶は、舶来の唐物の道具を用いて、非常に格式の高い、異国趣味のあふれた高貴の茶式でした。一方、茶の生産がふえ、民衆にも普及してくるにつれ、道具や格式、作法にとらわれない下々の茶が流行してきました。そして義政に仕えた村田珠光が、書院の茶、下々の茶などすでにあった茶式を統括して、新しい方式を定め、茶の湯の今日の基礎を築きました。
 珠光は、京都の商人の出ですが、のちに大徳寺の一休禅師について禅を修行し、そこで体得した禅の心によって、簡素な茶の湯を創立したのです。珠光は義政の建てた銀閣寺東求堂に、日本最初の四畳半の茶室を設け、豪華な広間の茶から、道具を飾りつけるゆとりの少ない、また客と主人の心が通いやすい狭い部屋へと優れた工夫をしたのであります。
 大和の古市播磨に与えた珠光の茶の道を示す『心の師』の一文のなかには、「此道、第一にわろき事ハ、心のがまん(我慢)がしやう(我執)也」とあります。我慢、我執とは、我がまま、強情という意味ですが、茶室で、亭主と客が心を合わせて茶を楽しむためには、互いに慎み深く自分の我をころして相手の立場を尊重することが最も大切であると教えたのです。
 また、同じ文中に「此道の一大事ハ、和漢のさかいをまぎらかす事、肝要々々」と述べて、茶の湯の和風化、国風化を唱えました。中国渡来の喫茶の法や唐物の道具飾りなどを、日本の風土や日本人の好みに合ったものに変えていったわけです。国内で焼いた備前、信楽などのもつ侘びた麁相の美、質素、素朴、自然の趣きの美を、控え目で慎み深い心のあらわれとみて尊重したのです。氷え枯るる風情の美を茶の湯のなかに取り込んだのです。
 こうして、身近なありあわせの道具を使い、ともすれば物質的な関心にとらわれがちな傾向を、精神的な豊かさに眼をむけるように努めたのです。珠光は茶祖と呼ばれますが、今までの高貴で格式ある茶の方式から、心を求め、道を探ぐるという精神性の高い茶の湯に導いたのでした。
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