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新型コロナウイルスの感染防止のため、6月14日(日)、21日(日)のクリエイト日曜静座会は中止とします。上記の静座会の案内は、14日分掲載されていますが、削除が出来なかったためであり、中止ですのでお間違えの無いようお願い致します。状況が良くなれば、7月はなんとか開催したいと思っております。よろしくお願い致します。
八王子座禅会 加藤葉子
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(4)禅について②
 禅では、いくつかの調心法がありますが、日本の禅宗では普通、極めて単純な数息観を行うことが多いようです。心が乱れないよう、もろもろの煩わしい念慮が生じても、それを断ち切るように呼吸を数えていく観法です。
 元来、呼吸は身体の動静と深くかかわっているものですが、東洋の道では、印度に起こったヨガをはじめ、日本固有の各武道などいずれも呼吸を重視し、古くから呼吸法が工夫されております。息とは、息の緒、息の根、息を引き取るなどの用法から明らかなように、いのちそのものを意味しています。息が合う、息が長い、息を凝らすなどから、心をも指していることがうかがえます。
 禅では、この心身相関の接点である呼吸をまず調え、数息に全心身を集中し、なり切ることによって心を調えます。日常においても、息を数えたり深呼吸によって、心の安定を計った体験を多くの人がもっておりますが、禅では、座相を調えた当初、まず欠気一息の深呼吸を数回行い、続いて自然の呼吸に調息していきます。欠気一息とは、肺にたまっている息をまず全部吐き出してから、新たな息を吸いこむ東洋の深呼吸法であります。
 その後は、静かに自然の呼吸を行いますが、特に意識しなくても、次第に一呼吸が長くなります。吐く息が長く、吸う息が短い呼吸になって行きます。すなわち経文のなかで出息長、入息短と呼ばれる釈尊の呼吸法であります。
 このようにして、数息になり切った状態を数息三昧、呼吸三昧と呼びます。三昧という語は、日常でも読書三昧とか釣り三昧などと使われ、精神を集中し余念がないことを指します。禅ではもっと深い意味があり、正念の相続一貫、心境一如・物我不二、正受にして不受の三つの働きを統一したものとされています。
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(4)禅について①
 日本文化を代表する茶道を理解し、茶味を味わうには、茶の技法の稽古とともに、禅による心の錬磨の行がこの上なく大切ですが、ここで、茶道の創成にかかわった先人たちが、いずれもそれによって力を培い、茶の精神を正しいものに高めていった禅について、少しふれておきたいと思います。
 一口に禅を説明することは困難ですが、簡単にいえば、正しい坐禅の姿勢で端座し、宇宙の真理を悟って自己を究明された釈尊とまったく同じ悟りを得ることをめざす行といえるでしょう。禅は一般にいう信仰ではありません。いわんや、哲学でもなく、道徳でもなく、本物の人間になるため心を磨く、人間形成の道と呼ばれます。
 坐禅の方法は、調身、調息、調心の三つの段階に分けて説明されます。
 まず、独特の姿勢で坐禅を組み、からだを調えます。五重の塔が大地に堂々とそびえたつように、不動の坐相で坐ります。次に呼吸を調えます。はじめ深呼吸をし、次第に静かな自然の呼吸になるよう落ちつけていきます。呼吸が調ったら、次いで、その呼吸に心を集中させて、さまざまの思慮分別などが起こらないように、一呼吸を一つとして、一心に呼吸を数え続けて、いわゆる数息観になり切って心を調えていきます。
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新型コロナウイルスの感染防止のため、5月10日(日)、24日(日)のクリエイト日曜静座会は中止とします。コロナが早く終息するよう祈っております。
八王子座禅会 加藤葉子
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(3)利休と茶道の成立②
 利休の指す仏法とは、そのまま禅を意味しているわけですが、小座敷の茶の湯つまり侘び茶は、第一に仏法を以て修行することと同一であり、茶によって人間形成をするのだという、侘び茶の本質を宣言しているのです。そして続く言葉で、その具体的な生活の相(すがた)を明らかに展開してみせたのです。
 つまり、茶の湯は、仏道修行そのものであって、家はもらない程度の住まいでよし、食事は飢えないならそれで十分であると、物質に対する欲望から離れ、知足安分の簡素な生活の理想を語り尽くしているのです。茶の湯は、仏法即ち禅による人間形成の道であると、今まで以上に明確に規定したのであって、禅的な生活規範を、茶道の規範とすることが述べられているのです。いいかえますと、禅の心とはたらきを、茶の湯の形を通して、日常生活のありようにひろげているわけです。禅の道を究めた利休によってはじめて、力強くこのような茶禅一味の主張がなされたのです。
 後に述べますが、禅の行は禅堂のなかだけにあるのではなく、生活のあらゆる場にあるのですが、それとまったく同じ意味で、茶の修行は草庵茶室のなかに止まらす、生活全般にわたってその体系をなすべきものという示唆が与えられているのです。
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(3)利休と茶道の成立①
 東山文化の全体に流れる思想のなかで、珠光、紹鴎らによって形成されました茶の湯に、紹鴎の弟子で茶の聖人共呼ばれる有名な千利休が出て、茶道として大成したといわれます。
 利休は、四畳半の草庵を、三畳、二畳とさらに縮め、道具の座敷飾りの余地のないように簡素なものに改めました。また竹の茶杓、花入など、竹のもつ単純な素朴の味を生かした新しい茶道具を工夫創造しております。
 また楽焼茶碗を焼かせ、その他の国焼きの備前、信楽、唐津などとともに、素朴で野趣に富む侘びた道具を愛用し、珠光、紹鴎のめざした麁相の美をいっそう深く広く茶の湯に取り入れました。
 こうして、草庵の茶、侘び茶がいよいよ完成されていくのですが、これはまた、禅的な美の世界をつくりあげたともいえるのです。その侘びの美の創造は、禅によって培われた審美眼によるところが極めて大きいのです。
 利休は紹鴎に十九歳で入門するとき、大徳寺で髪を下ろし頭を丸めてその決意を示しました。その後も続いて、古和渓尚を始め大徳寺の禅僧について坐禅の修行をし、ついに禅の奥義を究めた人です。禅によって体得した生き生きとした力と高い境涯をもって、侘び草庵の茶風と、その心のあり方を求め、ついに茶道を確立したのです。「珠光、紹鴎皆々禅宗也」と言われますが、茶道の確立に禅が動かし難い役割を果たしたのです。
 前にも述べました『南方録』の冒頭に、「小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事也、家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事也、家ハもらぬほど、食事ハ飢ぬほどにてたる事也、是仏の教、茶の湯の本意也、水を運び、薪を取り、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ、人にもほどこし、吾ものむ、花をたてて香をたく、ミなミな仏祖の行ひのあとを学ぶ也」とあります。
これこそまさに利休の茶の理念、精神をあざやかに示しているといえるでしょう。
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(2)侘び茶の深化
 珠光の孫弟子の武野紹鴎は、この珠光流の茶の湯を実践し、さらに侘び茶へと深化させていきました。また若いとき、和歌を学んでいましたので、その教養が茶の和風化をさらに進めました。
 なお、さらに重要なことは、堺の南宗庵の大林禅師に師事して禅を学び、茶味と禅味が同一であることを体得したのです。
 紹鴎の残した有名な『侘びの文』には、「正直に慎み深く奢らぬ様を侘びという」とありますが、自在鉤、あるいは鉄瓶の水差、あるいは木を曲げた輪っぱの建水、竹の蓋置など、侘びの美、麁相の美をいちだんと深めて、座敷飾りを質素にしたのです。格式高く楷書のようにくずれのない書院の美に対し、山里の侘び住まいの草庵にみられる草の美を茶の湯の美として好んだわけです。
 『南方録』には、紹鴎が、侘びの心を新古今集藤原定家の歌「見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」で示したことが残っております。華やかで美しい花紅葉がすでに枯れはてた晩秋の夕暮に、人里はなれて一軒のあばら家がたたずむ景色、枯れ枯れした閑寂の世界、この趣きこそが侘び茶の心であるとしたのです。つまり、物質的なにぎわいを否定し、そのとらわれから脱した枯淡の境地、それは禅で言う無一物の境地といってよいと思いますが、それを茶の湯の心としたわけであります。
 また、紹鴎は、茶の湯は道を得るための行であると明確に規定していまして、それを、「一心得道の取り行ない、形の外の技」という言葉で表しています。茶を点る時は、順序、作法などの技法によって進められていきますけれども、そういう眼にみえてくる道具や寸法、所作、手順などの形にとらわれない、むしろそれらを超えたところの心の技の重要性を指摘したのです。茶の湯の精神性を強く主張したのです。
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新型コロナウイルスの感染防止のため、4月5日(日)、19日(日)のクリエイト日曜静座会は中止とします。上記の静座会の案内は5日分掲載されていますが、削除ができなかったためであり、中止ですのでお間違いのないようよろしくお願い致します。コロナが早く終息するよう祈っております。
八王子座禅会 加藤葉子
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(1)侘び茶の創始
 芸術的な風雅な遊びを楽しみ、東山文化を興した足利八代将軍義政は、いわゆる芸術上の顧問ともいうべき同朋衆の能阿弥とともに、書院広間での点茶の方式を定めました。この書院の茶は、舶来の唐物の道具を用いて、非常に格式の高い、異国趣味のあふれた高貴の茶式でした。一方、茶の生産がふえ、民衆にも普及してくるにつれ、道具や格式、作法にとらわれない下々の茶が流行してきました。そして義政に仕えた村田珠光が、書院の茶、下々の茶などすでにあった茶式を統括して、新しい方式を定め、茶の湯の今日の基礎を築きました。
 珠光は、京都の商人の出ですが、のちに大徳寺の一休禅師について禅を修行し、そこで体得した禅の心によって、簡素な茶の湯を創立したのです。珠光は義政の建てた銀閣寺東求堂に、日本最初の四畳半の茶室を設け、豪華な広間の茶から、道具を飾りつけるゆとりの少ない、また客と主人の心が通いやすい狭い部屋へと優れた工夫をしたのであります。
 大和の古市播磨に与えた珠光の茶の道を示す『心の師』の一文のなかには、「此道、第一にわろき事ハ、心のがまん(我慢)がしやう(我執)也」とあります。我慢、我執とは、我がまま、強情という意味ですが、茶室で、亭主と客が心を合わせて茶を楽しむためには、互いに慎み深く自分の我をころして相手の立場を尊重することが最も大切であると教えたのです。
 また、同じ文中に「此道の一大事ハ、和漢のさかいをまぎらかす事、肝要々々」と述べて、茶の湯の和風化、国風化を唱えました。中国渡来の喫茶の法や唐物の道具飾りなどを、日本の風土や日本人の好みに合ったものに変えていったわけです。国内で焼いた備前、信楽などのもつ侘びた麁相の美、質素、素朴、自然の趣きの美を、控え目で慎み深い心のあらわれとみて尊重したのです。氷え枯るる風情の美を茶の湯のなかに取り込んだのです。
 こうして、身近なありあわせの道具を使い、ともすれば物質的な関心にとらわれがちな傾向を、精神的な豊かさに眼をむけるように努めたのです。珠光は茶祖と呼ばれますが、今までの高貴で格式ある茶の方式から、心を求め、道を探ぐるという精神性の高い茶の湯に導いたのでした。
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 さて、本来の茶の湯とは一体どういうものでしょうか。今まで茶の湯と言い、あるいは茶道とも言ってきたのですが、その本来あるべき姿はどういうものでしょうか。
 まず東洋では、いろいろの分野に道という字をつけて呼びますが、茶道をはじめ、剣道、柔道、合気道などの武道や、書道、華道などの芸術的なものに広く用いられます。これが剣術でなく、あるいは茶術や書術でなく、なぜそれぞれ道とつけて呼ばれるのかといえば、それらの技術や芸能というものを通して、人間を磨いていく道の意味を含めているのです。単に小手先の技の修練、熟達に止まらす、その行を通じて人間らしい、本物の人間を完成していくために通る道を指しているのです。
 そして、重要なことは、それに応えるに十分な精神性の高い理念と、永年にわたって培われた方法・技術の内容実質を備えた東洋独特の分野の道であるということです。
 では、茶の湯が茶道として、どのように成立してきたのか、その成り立ちを簡単にふりかえってみたいと思います。茶の味わい、趣きを深く理解するためには、茶道の創立を担った人びとの精神にふれることが重要だと思うのです。
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