東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
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或る五葉会員の所感

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八王子支部 2014/6/27 6:46
 
六月も半ばを過ぎ、夏本番を感じさせるような頃おいとなって参りました。
 
さて、先先日の摂心会すなわち座禅の集中合宿においてわが五葉会の指導者である翠珠さんはすばらしい活躍をみせ、道号授与に至った。それは五葉会の一員として喜ばしく、また誇らしくも感じられます。このような先輩を見上げて前にゆくことは誠に光栄であり、自己の周囲に精進を怠らない言わば「道友」と呼べるがごとき人が出来てゆくことに喜びを感じざるを得ません。
 
ところで、中央大学五葉会と人間禅とは兄弟のような関係である、と過去の幹事長の所記にございました。これにはまったく同感であり、そのことにつきましてはては人間禅と五葉会の歴史を参照すれば明らかになるとは思いますが、大切なのは幾人もの五葉会の先輩方が人間禅において重要な役割を果たし自利利他の素願を成就されているということです。であれば今回の出来事は人間禅にとっても五葉会にとっても大きな飛躍ではありませんか!
梶垣悠真        

半夏生(はんげしょう)

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八王子支部 2014/6/26 8:39
今日の茶花は半夏生(はんげしょう)、金糸梅、都忘れを有馬籠に入れた。
半夏生は半化粧とも書きます。いつも梅雨に入りジメジメとした毎日にため息のでる頃、
雨の晴れ間にちょっと庭にでて、薄暗い中にもぼーっとほのかに白く浮かんで見えるのが半夏生です。私にとって梅雨も半分過ぎたかなと心が明るくなる花です。
今年も会えてよかった。今日はここで座禅をしましょうか。 玉舟
 
        

座禅の目標  鸞膠庵小野円定老師

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八王子支部 2014/6/25 7:56
6月に入り、人間禅岐阜支部創立30周年・坂東支部創立25周年記念式に参加した。相次いでお目出度い事である。
人間禅には両支部より、はるかに長い伝統を有する支部が多くあるが、同じ道を歩む集まりが長く続けて行く素晴らしさと、その責任の重さを感じる。
 
 人間禅の理想とする処は「正しく・楽しく・仲よく」の世界を、この現実の社会に築く事にあると言われる。とてもやさしい表現ではあるが、その意味する処は、とてつもなく広く深い。
特に、3つの内「仲よく」が一番難しいという。相手に合掌する事とはわかってはいても、実際には気の合った道友(仲間)もいればそうでない場合もある。そういうものを含め、そして、それを超えた処の「仲よく」である。難しいといわれる所以である。
仲よくなければ続かないのも事実である。記念式に参加して改めて考えさせられる。そして祈る。40年、50年・・・・・・。
円定
 
        
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14日土曜座禅会に参加して

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八王子支部 2014/6/24 8:25

 14日の土曜座禅会は禅東院の本堂2階にてありました。夕方の刻限のため、風は涼やかで、頬を撫でていきます・・・・。すなわち!座禅するには良き時間帯ですな。大学の五葉会会室で定例以外に一人で座禅することが多いですが、少人数とは言え、皆で座禅するのは良きことです。
 ゆるゆると時が過ぎ、座禅終わりに体をほぐすための真向法(まっこうほう)の時間に。要は皆でストレッチです。摂心に参加してもそうですが、この時間はプチ阿鼻叫喚です。「イテテ・・・」という言葉が堂内に満ち、自身の体の固さを自覚する時間でもあります。(紫光さんはもう駄目や~という顔で頑張ってました)
 最後は茶話会の時間。参加者の皆さんとお菓子とお茶を肴に談合しました。その際、如法さんが室内にあった複製の道元の「普勧坐禅儀」についてレクチャー。道元禅師のきちっとした字。最初漢文ばかりでこれは読めんかと思いましたが、如法さんのご指摘で部分部分は読めることに気づきました。道元禅師は鎌倉時代の人間。その時代の人間が書いた文字が現代まで残っているというのは驚きに値します。複製には判で押したような模様がありました。これは当時の紙の透かし模様。紙の偉大さを実感します。記憶の彼方を探ってみると紙の伝来は751年タラス河畔の戦いで唐からアッバース朝を始めとするイスラーム世界に紙を伝来したとか・・・・。
ということは、それ以前にもう紙はあったということ。壮大かな、紙。
 
以上、そんなこんなで楽しき土曜座禅会でした。
 
                   翠珠(中央大学五葉会)記ス
                                 

クリエイト座禅会報告(6月22日)

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八王子支部 2014/6/23 8:21

6月22日(日)のクリエイト静坐会(座禅会)の参加は7名であった。
 
そのうち今日はじめての参加者が2名であった。いづれもクリエイトに掲示されてい
るチラシを見ての参加であった。
 
一人は60代の男性で、京都勤めのころ2,3回禅寺で座った経験者でいい坐相であっ
た。
 
もう一人はOLで1月から気にかけていたがやっと日程があって参加となったとのこと
であった。
 
合掌 宗應 拝

 
                                 
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土曜座禅会報告(6月21日)

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八王子支部 2014/6/22 7:15

参加者 臼杵宗應 大石如法 Kさん Hさん 加藤紫光の5名
 

今日は、如法さんが「雲水日記」という、お寺の禅の入門から修行までを、絵入りで分り易く書かれた本を持ってきてくださり、説明していただきました。お寺では写真撮影禁止らしく、絵で説明とのことです。合掌
加藤紫光拝

 
                                 
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動中の工夫・作務

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八王子支部 2014/6/21 6:33

我々は静中の工夫として座禅、動中の工夫の一つとして作務を行う。
毎年この時季になると田植えをした田の畦道の草刈りをやる。私の担当となっていてシーズンに5~6回やる。
今日が第一回であった。
炎天下の草刈りも手伝いとしてやると結構つらいが、自分の作務としてやると楽しいものである。とはいえ、早く終わりたいとか
余計な念が入ると刈ったあとが雑になり、心身共にきついものとなる。
合掌 宗應 拝

 
                                 
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第一印象

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八王子支部 2014/6/20 6:39


「実際の座禅の中には癒しとか、安らぎといったようなモノは(ほぼ)無い。峻険であり、正にゴツゴツした岩の上に座するがごときである。」
 
座禅を始めた頃のことを振り返っても、手触りとしては何も進歩もしないし変化しないものもあるな、という雑感です。
白陽
 
                                 
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その1で、「直ぐ(仕事に、勉強に)取り掛かれる効果」についてお話ししました。今回は、「他のことに気を散らさないで今に集中できる効果」についてお話しします。
 
受験生でも社会人でも、勉強なり仕事なりに、本当に集中している時間は、それに関わっている時間の内 何割あるでしょうか?平均して半分もないのではないでしょうか?
こうなると勉強の成績とか仕事の出来不出来は、頭の善し悪しでも、能力のあるなしでもなく、集中力というメンタルな面での差が大きく効いてくると言っても過言ではないでしょう。
 
しかも突っ込んで云えば、集中しているという部分においても、レベルの高い低いが大きいのです。しかしここでは「気を散らさない」レベルの比較的低い集中度の話ということにして以下お話しします。
 
例えば、ホームページ用のブログを書いているとき、遠くで消防自動車のサイレンが鳴り出した。それが耳に入り、どこかで火災が起きたんだなあ、と思う。更に、弟が消防自動車好きでサイレンが鳴るといつも駆けだして行ってしまっていたことを思い出す。そして次に、一昨日弟から倉敷の群すずめという銘菓を貰ったことを思い出し、急に腹が減っていることに気づき、群すずめを食べようと冷蔵庫に取りに行く・・・。
 
こういう消防自動車のサイレンの類いの「気を散らす」材料は、日常において事欠きません。
これを座禅では「二念を継ぐ」と言います。「うーうーうー」の音波を消防自動車と認識するのが一念です。それから「弟」が二念であり、「群すずめ」が三念です。
 
座禅では普通、数息観法を行って、集中力・三昧力を養います。(数息観法が判らない方は、「人間禅 数息観」をネットで検索して調べて下さい。)
この数息だけに意識を集中して、数息以外の念慮は全て切ることを徹底して追求するのですが、これが「二念を継がず」の訓練であり、これを一生懸命やるのです。
 
この「二念を継がず」が数息観で出来だせば、それだけでも大変な人間力増強になります。それは呼吸を1から10まで数える間の約1分間だけできるだけの「二念を継がず」で良いのですが、数息観を試みた方はお判りでしょうが、このたった10までの二念を継がない数息が大変難しいのです。
 
毎日30分以上を365日、10年間熱心に数息観の修練(一日一炷香)を継続して三昧力を磨いた人でも、100人の内数人くらいしか到達できない難しいことです。しかしこれができ出すと、素晴らしい効果が付いてきます。
 
1分間の「二念を継がず」の三昧が身に付いてくると、どんな喧噪な環境の中でも気を散らさないで、今やっていることに集中できるようになります。
どんな物音、人声が聞こえてきたとしても、目の前の今の手元が疎かになるということはなくなります。
 
また、済んでしまったことを引きずったり、未だこれからのことに気を患わせたりすることはなくなり、すかっと「今に生きる」ことができるようになります。
 
どんな環境条件の中においても、今の目前のことに集中し、他に念慮が動かない。こうなると学習効果も仕事力も上がるわけです。
単に仕事ができると云うだけでなく、精神的に安定かつ意欲的状態に常に自分を整えておれるのです。
 
これは才能に関係なく、老若男女、貴賤を問わず、人種を問わず、実践行を継続するかどうかです。ローマは一日にしてならず。大人物も一日一炷香(30分以上の数息観法の実践)を継続したかしないかに掛かっています。
 
一人でやるとなかなか継続できませんが、このHPにある週例静坐会(土曜日)などに出席して、みんなと一緒に頑張って下さい。
  
                           葆光庵丸川春潭総裁老師

                                 

 座禅というものは何をしているのであろうか、ただ坐って無念無想になっているのではないか、という質問を受けたわけですが、矢張り、人間の心というものには、その働きの先端というのがあって、それを「気」というのです。
 例えば、どんなに高い技術や、広い知識を持っている人でも、「本気」でやらなければだめです。本気でやる。「やる気」がある。その「気」です。呑気、気性、気転、気狂い、などの気であり、藤田東湖の「天地正大の気」、孟子の「浩然の気」の「気」です。
 心の先端の働きというものは、非常に微妙でありまして、そういうようなものをしっかりと、正しく働かせる為には、一つに集中をすることが肝要です。私達は座禅をしまして、そして、自分の集中力を養ってゆくわけでありますが、実は、それを通じて、「気」というものの、正しいあり方を学んでいるのです。
 皆さんのお仕事もそうですが、何事もやはり、気を抜いたり、やる気がなかったり、本気がなければ駄目で、「気」というものがしっかりとそれに向いあって、それに打ち込んでいくという、そのことを通じて人間の心もほんものにな、っていくのです。だから、ただ技術だけではなくて、そういう技術というものに打ち込む、人間としての姿勢というものが本当でありませんと、やはり、本当の仕事というのはできない。そういう意味で、この「気」というものは、非常に重要な意味を持ちます。





                                 
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