東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
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 7月17日(木)~7月21日(月)迄、八王子禅東院で摂心会(座禅会)が行なわれる。摂心会は年6回行い、今回は今年2回目となります。

 摂心会とは、「心を摂する会」ということです。「摂」とは心をおさめ養うという意味です。つまり、心を一つに集中する事です。禅では、「三昧」(ざんまい)といいます。禅は最初から最後まで、三昧を養う修行といってもよいと思います。

 小生は大学2年の中頃より、禅とご縁がありました。随分以前の事です。初めは「数息観」を教えられますが、何をやっているのかチンプンカンプンでした。 終わって道場を跡にしたとき、今ブログを書いている雨上がりのような、スカッとした気分になりました。長く続けてこられたのも、懐かしく思い出されるからかもしれません。軽い気持ちで踏み込んだ一歩が、大きな一歩となりました。

 禅は、「大道無門」といわれます。どなたでも、どんなキッカケでも、門を開いているという意味です。禅の広さと、奥の深さを感じます。「ほんもの」とは、そういうものかもしれません。 とにかく、「一歩」。
円定

摂心会の心得

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八王子支部 2014/7/8 6:44
 西東京支部(八王子)の第75回摂心会(座禅、参禅、作務、提唱等)が7月17日から7月21日まで厳修されます 今回、18日に「摂心会の心得」について話をする機会を得ました。 私の摂心会参加の姿勢を反省するありがたいチャンスと思って工夫しているところです。

合掌 宗應 拝
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茶禅一味の会(無言の映像茶会)

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八王子支部 2014/7/7 8:43
 平成26年6月26日(木)より29日(日)まで人間禅本部道場にて茶禅一昧の会が開かれました。 呈茶席は表千家、裏千家、江戸千家、有楽流、日本茶道学会とそれぞれ特徴のあるお席が用意されると共に、葆光庵総裁老師による『茶禅一味』、また慧日庵笠倉玉溪老禅子による『茶掛けについて』の講演会も盛況に行われました。

 西東京茶道部は28日(土)午後、表千家のお水屋係りとして、半東とお運びです。 ふつう茶席には亭主の思いを禅語に託して軸を掛けるのですが、今回は映像作家の南幸男氏の「瞑想する映像」を流すという、今までにない新しい茶会の試みです。 第33回人間禅、禅フロンティアにゲストとしてご縁をいただき、2回目の登場です。 今回は遠方より奥様もご参加下さり、大変ご立派にご亭主をお努め下さいました。 「瞑想する映像」は無言の18分08秒で、瞬きすると見失ってしまうような緊張感の中、半分よりもう少し過ぎたころ、灯りの輪のなかに夏の夜空にあがる大輪の花火が、ドーンと何発もあがっては真紅に広がって落ちてくる。その燃え殻を見ている時、ふと浮かんだ短歌(うた)が 「死の側より照明(てら)せばことにかがやきて ひたくれないの生ならずやも」  斎藤 史(1909~2002) 歌集「ひたくれない」より(昭和51年)  大好きなうたの一つです。

 映像の説明はしたくない、各自がそれぞれ自由に感じてくださいと言われた、映像作家南幸男氏に感謝申しあげます。そして今回の茶禅一昧の会に参加して本当によかった。 最後にご準備と後片づけをしてくださった皆様にありがとうございました。合掌 玉舟拝
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土曜座禅会報告(7月5日)

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八王子支部 2014/7/6 20:18
参加者 大石如法 Kさん Mさん Oさん 松田大愚 加藤紫光の6名

今日の如法和尚の一言は「Do not think ,Just feel」。ホームページでの「和尚の一言」これからも楽しみです。

Mさん(男性)は、以前禅カフェ(の前身)に参加されたのが御縁とのこと。昨日は大愚さんのまんが教室に参加された後、いらっしゃいました。Oさん(女性)はお若い方で八王子市在住、看板を見て来られたとのことです。

合掌  紫光拝
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(人間禅 第五世総裁 葆光庵丸川春潭老師)
その1で、「直ぐ(仕事に、勉強に)取り掛かれる座禅の効果」についてお話し、第2回は、「他のことに気を散らさないで今に集中できる座禅の効果」についてお話ししました。

 今回は、「情報過多の現代において、常に平常心を保ってことに当たれる座禅の効果」についてお話しします。 情報過多社会、時間に急かされる社会の中においては、ともすればバタバタと周りに引きずられてしまい、自分を見失いがちであります。 三昧が身に付いてくると、どんなに忙しくなっても、慌てるということはなくなり、しっかり自分を整えることができます。 慌てるということは、呼吸が上に上がって上呼吸になっているのです。

 書道においても剣道においても呼吸を下げることを重視するよう注意を喚起しています。 日頃から座禅を継続することによって三昧が身に付いてくると、常に正しい呼吸ができ、常に冷静に対処でき、優先順位通りに「今」に全力投球することができるようになるのであります。 また精神的ストレスの蓄積により、自律神経失調・鬱病症候群多発するという現代病が多くの人を悩ませ、あるいはその人の活性度を著しく落としています。 現代は、人類が経験したことのない情報過多、精神的ストレスの多い時代であります。 自然の中で自然と一体になった生活をしていた時代は、人の心も自然な状態を安定して保つことができやすかったと思われますが、現代は人間の心の自然な状態を確保することが難しい時代であります。 脱俗出家しない一般社会人は、一つのことにだけ専一に取りかかれば良いということはあり得ません。常に多重な課題の処理に追われている状態で生活しているのであります。これが精神的ストレスを引き起こすのです。 特に精神的ストレスが未だrelease(解き放つ)できていない状態に、次の新しいストレスが重なり、それがどんどん積層化されてくると、人間の心は直ぐには正常な状態に復帰することができなくなり、心の病になってしまうということになります。

 真面目な人ほど、全てに責任感を背負い込んで、できなければ自分を責め、人の目を気にしすぎる傾向にあります。 真面目な人ほど、現代病と言われる鬱病症候群や精神統合失調へと段々と病膏肓に入り、自殺予備軍にもなるのであります。 ことほど左様に、生き馬の目を抜く情報過多な現代において、人間の心の自然を保持するのに無策では大変危険です。 意識的な施策が不可欠になるわけですが、その施策の骨子は、ときどき頭頂連合野(人間の脳のデジタルコンピューターに該当する部署)をご破算にしてやる(ゼロに戻す)ことです。 それには座禅をして数息観法を修することが最もシンプルでしかも効果も大きいのです。これは三千年前からの東洋的漢方です。座禅を組んで数息観を実践することにより三昧になる。数息に三昧になると云うことは、頭頂葉をSilentにし、感性を司る前頭葉を活性にすることになります。 三昧が身に付いてくると、そして一日一炷香がきちっと行取されていると、精神的ストレスを後に残さないで、精神的疲れの蓄積をしないで、済んだことに引きずられないで、未だ先のことにくよくよ気を揉まないで、常に平常心を保って、「今」をしっかりと自信を持って生きることができるということになるのです。

 これは才能に関係なく、老若男女、貴賤を問わず、人種を問わず、ただ一日一炷香(毎日線香一本の時間 30分以上座禅をする)の座禅を継続するかどうかに掛かっています。 一人でやるとなかなか継続できませんが、このHPにある週例座禅会(水曜・土曜日)などに出席して、みんなと一緒に頑張りましょう。
 6月28日禅東院へ行き、土曜座禅会に参加した。
2~3日雨が続く。今日も雨である。その為、参加者は如法支部長、小生、それから3月より熱心に参加されているK氏の3名である。
 午後5時、始まりのチ~ンが鳴る。黙々と座る。
そして45分後、終わりのチ~ンが鳴る。少人数のためであろうか緊張感が漂う。時の経つのが早い座禅会であった。
 
 雨といえば、山岡鉄舟居士は「晴れてよし 雲りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」という、言葉を残された。
 明治天皇の侍従を務め、剣・禅・書を究められた方である。我々人間禅の前身「両忘会」を創られたお一人でもある。明治初期の頃である。
 「晴れてよし 曇りてもよし(雨と置き換える)」とは、人生には好いときもあり悪いときもある。嬉しいときもあり悲しいときもある。どのような場合に出合っても動揺する事なく、富士山のように、泰然自若と聳えているという事だろう。こういう人生を送りたいものである。
 
 ところで、何事があっても動揺しない自己とは? そして、泰然自若と聳え立つ富士の山とは? 難問である。
座禅会に一歩足を踏み出す事をお勧めする理由も、実はここにある。
 
 如法支部長と雑談をして玄関を出る時、雨はすでに止んでいた。
円定

和尚の一言  西東京座禅道場

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八王子支部 2014/7/3 7:20

さて、禅宗の命脈は何によって伝えられてきたか、それは紛れもなく法が人から人。
師から弟子に伝えられたこと。特に江戸時代以後は道場と呼ばれる寺院、僧堂が曹洞宗、臨済宗でその中心を担っている。

現に臨済宗の場合、僧堂の師家が法の継承者である。他にも師家分上としておられるが、
たとえ教学が大学、例えば駒澤大学に集積していても行としての本分は、道場にある。
現在の禅宗寺院は、道場・養成機関と一般的に住職が家庭を持っている檀家寺ではまるでその生活が違うのが大半。
一般寺院でも定期的に結制(期間を設け)座禅修行 摂心を行い。 それも僧侶だけでなく
如法拝

 前回は「洗心」を取り上げました。今回は「正しさ」です。

 ここで、「正しく・楽しく・仲よく」ということについて、一言したいと思います。
 まず第一に、「正しい」ということですが、これは大変難しいことで、道徳的に善いことをするという場合の善悪の善ではないのです。
 人間として正しいということは、どういうことでしょうか?それは、ほんとうの大自然と不二一如の自分というものを取り戻すことなのです。
 私が坐禅をして経験をした過程で思うのですが、自分の心というものが、正しい自分を取り戻して、ほんとうの自分に帰った時、その時には、私の心の中に仏の”願い”というものが甦ってきます。
 本当の正しい状態になった時には、その本性にめざめ、本心が洗われてきて、本当の人類の幸福というものを推進しなければいけない、自分のつとめを果たさなければいけない、本当の職場、本当の家庭を作らなければならないという願いが甦ってくるのです。そういう願いというのは、自分の愚かさを乗り越えて、そして、人間というものを正しい方向に、そして究極には仏の願いに自らを進めて行きます。
 私達は自分自身で常に誤りを犯します。人に迷惑をかけたりすることがあります。しかし正しい願いを持っておれば、それを乗り越えて、己れを正し、己れを高めてゆくことができます。

次回は「楽しさ」です。

磨甎庵老師は、千葉大名誉教授(倫理学)。平成21年94歳で亡くなられましたが、一生現役とされ、最後まで学人を相手に厳しく導いて下さいました。この講演録は、ある企業で行われたもので、市販されてはいません。道場で売られたもので、購入してから私は、バイブルのように持ち歩いていました。

20回予定で引用させていただきます。紫光九拝


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数息観のススメ

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八王子支部 2014/6/30 10:49
 喧騒で、ストレスの多い今日、静かに自分を見つめる時間を持ちませんか。座禅を組み「数息観」をする会です。ゆ~っくり静かに!でも効果絶大!
 数息観は座禅を組んで、静かに自分の息を数える修養の方法です。腹が立ったら、口に出して怒鳴ったり手をあげて実行に移したりする前に、「自分の息を黙って三遍数えてみよ。」ということがよく申されますが、これは確かに効果があることで、大概のことなら、これで腹など立てるのがばかばかしくなってしまいます。これは一つの心気転換法にすぎないのですが、それでさえたいした効果があります。ましてや数息観は、一時的な転換法ではありません。根本から心身の調整をはかる修養法ですから、これをやれば心身は常に安静で、つまらぬことに興奮したり、とっさの場合に度を失ったり、あわてて思わぬ怪我をするようなことはなくなります。つまり機に臨み変に応じて、落ち着いて適切な処置をとることができるのです。合掌
宗應拝
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座禅入門のきっかけ

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八王子支部 2014/6/29 8:32
 
 五葉会というサークルに、宗教嫌いだった私が入会したのは、大学一年の秋です。水上勉さんが書かれた「土を喰う日々――わが精進料理十二ヶ月」を読み、水上勉さんが、幼い頃から禅寺の典座をやられたことや、道元の「典座教訓」などで培われた食物を大切にする心構え等が書かれてあり、土に接する水上さんの生活に共感し、禅とは普通の信仰対象のある宗教ではない、と思ったからです。そして「和敬静寂」「直心の交わり」である茶道も会室でやっているということで入会することにしました。そして大学二年の夏、学生修禅会に参加しました。足は痛い、蚊は来る、汗まみれ・泥まみれでの作務。もう嫌だ、と思いましたが、どうとでもなれ、という気持ちで、くたくたになりつつも、磨甎庵老師の御提唱を拝聴し、素晴らしいお話だと感激しました。修禅会の帰りに、磨甎庵老師のお宅へ庭の作務をしにうかがいました。いろいろと貴重なお話をしていただきました。入門したら、神でもない人間の老師にどのようについていくのでしょうか、と聞くと、老師は教えるのではない、自分で体験するものだ、山を登るのも道先案内人がいた方が、近道ができる、というような話をしていただきました。それが入門のきっかけでした。合掌
加藤紫光拝
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