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 先日行われた西東京支部第75回摂心会において、僭越ながら耕雲庵英山老大師著『臨済録新講』を講じた。
臨済録は、中国唐の時代、臨済禅師が多くの弟子達に示された言葉を、三聖慧然という弟子の一人が、編集されたものである。
 臨済禅師は、正式には「義玄慧照禅師」(?―867年)といわれ、お釈迦様から数えて第38世、「臨済宗」を開かれた方である。
臨済宗は、「臨済将軍の禅」といわれ、峻烈な禅風で知られている。なお、人間禅はその法系に当たる。
又『臨済録』は、正式には「臨済慧照禅師語録」といわれ、禅語録の王と呼ばれており、格調の高い語録である。

 さて、『臨済録新講』第四章「心法無形」の中に、【時光 惜しむべし……空しく日を過ごして悔ゆる日あることあらん】の一段があります。この一段に対して、耕雲庵老大師はこう結ばれておられます。
「迷いの夢から早く醒まして、ほんとうの解脱の妙味を味わうように。お互い他日に悔いのない人生を送りたいものです」と。
それにしても、1千年以上前の時代と、現在では大きく時代背景は変わっているが、臨済禅師のお言葉は、現在にも当てはまる。基本的な事は、あまり変わっていないのかもしれない。
 一人になって、ふと我れに返った時、この一段を思い出して頂ければ幸いです。
円定
 今までの「座禅の効用」シリーズは、以下のタイトルでした。
その1、「直ぐ(仕事に、勉強に)取り掛かれる座禅の効果」(6/9) その2、「他のことに気を散らさないで今に集中できる座禅の効果」(6/19)
その3、「情報過多の現代において、常に平常心を保ってことに当たれる座禅の効果」(7/6)
その4、「コンプレックスからの解放における座禅の効用」(7/19)
今回は、今までと変わって、座禅の身体的効果について、最近の脳科学から光を当ててお話しいたします。
すなわち座禅の効用は、精神への作用ばかりではなく、体の健康にも多大な効果があるのですが、それが医学的にどういうメカニズムになっているのかというお話しです。

先ず、座禅の三昧に入ると、脳はどう変化するかを、最近の医学の情報から概説します。
「数息観三昧に入ると頭頂連合野がSilentになり、それと入れ替わるようにして、前頭葉が活性になる。」、これが座禅の脳科学の基本現象です。

この現象がアメリカの脳科学者の実験で確証されてから既に10数年経過しております。この知見は、京都大学医学部名誉教授の本郷巌先生によって紹介されたものです。

前頭葉が活性になると、脳からα波が生じます。このα波の生成についてはかなり早い時期から(約50年前)日本でも明らかになっておりました。 しかしα波が出る状態になると、脳内物質のセロトニン物質が生成されるという実証は最近の医学の進歩の中で明らかになってきたことです。
セロトニンとは「ノルアドレナリン」や「ドーパミン」と並んで、体内で特に重要な役割を果たしている三大神経伝達物質の一つです。
セロトニンは人間の精神面に大きな影響を与える神経伝達物質であり、セロトニンはノルアドレナリンやドーパミンの暴走を抑え、心のバランスを整える作用がある伝達物質で、セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れて、直ぐ感情的になったり、暴力的(キレる)になったり、うつ病を発症すると云われています。

東京御徒町にセロトニン道場(東邦大学医学部有田秀穂教授経営)が開設されています。
セロトニン道場は、心の怪我を薬という他力を使わず、自力でセロトニンという脳内物質を分泌させて、克服するための研修道場であります。 東邦大学医学部有田秀穂教授主宰で、呼吸法などのリズム運動の実践が主体で、セロトニンの分泌を促進させて治療に当たっています。
有田先生は、学生に呼吸法をさせて、セトロニンの生成を実証実験され、呼吸法を始めて5分ほどするとセロトニンが増えだし、25分ほどの呼吸法の終了後もセロトニン物質はKeepされていることを実証されています。

そして数息観法とか呼吸法で三昧に入り前頭葉が活性になるとセロトニンが生成され、精神のバランスが保たれると述べられています。

京都大学医学部名誉教授本庄巌先生(人間禅名誉会員)は、「お釈迦様の脳」を研究され、座禅で三昧に入り前頭葉を活性にすることを長年継続すると、前頭葉の活性化が小脳化すると云われています。すなわち前頭葉の活性化機能が増強されると云うことです。
この本庄先生の「前頭葉の活性化が小脳化する」ということこそが「人間形成とは三昧が身に付くことである」と云うことの医学的表現です。
毎日線香一本燃える時間の30分から50分の座禅の推奨を、「一日一炷香のすすめ」として昔から言い伝えられてきていますが、その大切さ意義深さを最近の脳科学は、臨床的に証明しているのであります。

今回は、座禅の効果が、脳科学的にどう生じているかについてのお話しに終わりましたが、次回は、今回のお話しに出たセロトニンが、肉体的精神的にどういう効果を発揮するかについてお話しします。
 前回は「仲よく」を取り上げました。今回は「品格について その1」です。

 人間の「品格」について、ここでは、ものの品格ということについて触れてみたいと思います。
 私は、現在勤務している大学の仕事の関係で、わが国の陶芸界の最高峰をなす何人かの陶工の方に会いました。
 ちょうど志野茶碗で有名な、中島孝造という方の工房を、多治見の奥の山の中に訪ねました。その時、中島さんは「たいしたことはできませんけど、それじゃ、私の作った茶碗を見せましょう。」と、応接間から、ご自分の室へ案内をしてくれました。そして丁度、床の間にありました自作の三つの志野茶碗について、色々と茶碗の見方というものを説明してくれました。
 大変に、飾らない、温和な実直の人で、如何にも陶芸一筋に打ち込んでいる人であるとの思いを深くしました。そして、この三つについて、この茶碗はこういう点が欠点だ、この点は良い、ということを、こと細かに一つ一つの部分について明らかにしてくれました。私はそれを見て、なる程、そういうものかということで、よく理解ができました。そして最後に示した茶碗を見て、随分、立派な茶碗だ、これが最高のものかと思って、感心しながら辞そうとしたのです。
 その時に中島さんは、”ちょっとお待ちください。もう一つお見せしましょう。”と言って、奥から又別の茶碗を持ってきて、三つの茶碗の左に置いたわけです。
その茶碗は、私が見ていた茶碗よりももっと品格があるのです。その時私はつくづく思いました。やはり上には上がある。
 もし私がその一番上の茶碗を見なければ、三番目の茶碗が最高だと思ったでしょうが、その最高のものを示されることによってその上があることが分り、それによって一つ一つのものの品格や、その位置がよく分ることになりました。
人間の品格もそうだと思うのです。人間として生きている人は沢山います。何億という人がいますけれど、人間の格という点からみて、本当に人間らしく生きているという姿は、茶碗と同じように、やはり最高の格の人に出逢うことによってよく分ってくるのです。
 平常私達は、なかなかほんものというものに出逢う機会がありませんので、つとめてそういうものを見るということが大切で、それこそが人間形成の一つの原点となるように思います。

次回は「品格について その2」です。

磨甎庵老師は、千葉大名誉教授(倫理学)。平成21年94歳で亡くなられましたが、一生現役とされ、最後まで学人を相手に厳しく導いて下さいました。この講演録は、ある企業で行われたもので、市販されてはいません。道場で売られたもので、購入してから私は、バイブルのように持ち歩いていました。
20回予定で紹介させていただきます。紫光九拝   
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 先日、西東京支部の摂心会(座禅会)が終わった。
終わった後、懇親会を盛大に行うのが習わしである。その中で、今年で修行歴50年になられるU居士と、30年になるK禅子を祝福し、乾杯を挙げた。
 U居士は、小生の先輩に当り、K禅子は後輩になる。共にひたむきに修行され、尊敬できる方である。大学時代(中央大学五葉会出身)から初められ、その後、社会の荒波に揉まれながらの30年、50年である。並大抵の事ではない。
 座禅は、自力の修行といわれる。とはいえ、矢張り一人では山を登る事はできない。他の支えがなければ、登り切れるものではない。修行でも支え、支えられる仲間がいなければ、長く続ける事は難しいのではないだろうか。(最後は自力であるが)

 その方のご挨拶の中で“只、続けて来ただけですよ”と謙虚に話された。よく聞かれる言葉であり、あまり気にもとめない言葉である。その言葉の中に楽しかった事、苦しかった事等々、色々な思いが含まれているためであろうか、最近その言葉が重く感じられる。 “只、続けて来ただけ”それ以外に、何があるのだろうか? 円定
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摂心会を終えて

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八王子支部 2014/7/25 6:46
 7月21日西東京支部第75回摂心会(座禅会)を終えた。 少しづつ新しい方の参加も出てきた。広報(HP,チラシ、看板等)の成果である。
 反面、従来の仲間の参加が少なかった。個人的に事情があったようだがしかし、国外であればいざ知らず、 国内にいながら一日あるいは数時間も顔も出せなかったとは誠に残念でもったいないことであった。年に6回の貴重な機会である、 多くの仲間が自覚してる「一日一炷香」のように、摂心会参加もお互い毎回参加を死守するよう心したいものである。

我々は「一日一炷香」と「摂心会の毎回参加」を続け切ることを最低の基本行としたい。
合掌 宗應 拝

座禅名言集(1)日々是好日

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執筆 : 
八王子支部 2014/7/24 21:17
 この禅語は、どんな時でも毎日は新鮮で、最高に良い日だという意味です。辛い日も悲しい日も、雨の日も風の日も、その時のその感情や状態を、大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になる。順境でも逆境でも。ほのぼのとして幸せそうな字面ですが、なかなか難問ではあります。
 
※これから「座禅名言集」をお送りします。是非味わってください。 合掌 紫光拝
 第3は「仲よく」です。
 
   人間は一人で生きているわけではありません。家庭あるいは職場、大きく言いますと国・人類という、そういう共同体の中で、皆助け合いながら生きています。そして自分の意見もありますけれども、他の人も意見を持っている、また自分の生命の重みと同じ生命を、他の一人一人が持っています。彼も、彼女も持っています。そしてその重みというものは、その人の知識とか、地位とか、財産とか、そういうものに関わらない。しかも、そういう一人一人が、かけがえのない一つ限りの尊い可能性なり、個性を持っているのです。
  桜には桜の、松には松の、竹には竹の良さがある。そういうもの、総てのものが松の木になるのではなくて、竹、松、桜というものそれぞれの特色を持ちながら、その為に却って皆が一致協力する、というところに「和」というものが形成される。これが仲よくということです。
  だから、「仲よく」ということは、総てのものが一つになる、「同」ずるということではないので、一つ一つの人格が、夫々の個性を持ちながら、あるいは意見の対立をしながら、全体としての大きな調和というものを持っているという姿です。
 
人類というものは、本来、和というもの、仲よくということなしに存在できない。
  ところが科学、技術の非常に高度な発展によって、和というものが阻害されて歴史が進んでいるということさえ言えると思うのです。
  それは勿論科学の持つ罪ではなく、それを使う人間の心の罪なのです。
  本来の自分というものを見失った人間の罪なのです。

次回は「品格について その1」です。


磨甎庵老師は、千葉大名誉教授(倫理学)。平成21年94歳で亡くなられましたが、一生現役とされ、最後まで学人を相手に厳しく導いて下さいました。この講演録は、ある企業で行われたもので、市販されてはいません。道場で売られたもので、購入してから私は、バイブルのように持ち歩いていました。 20回予定で紹介させていただきます。紫光九拝
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嬉しい来訪者

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執筆 : 
八王子支部 2014/7/20 16:40
擇木道場の心印です。

普段は私は日暮里の方で座禅会をやっていますが、金曜夜と土曜朝の方だけやって、その後は八王子の西東京支部で摂心会をやっているので、そちらに行くことにしました。

もっと早く行ける予定だったのですが、金曜夜からお泊りだった青森の女性の人生相談?座禅は悩みはどう解決するのか?という話をえんえんしたので、出発が遅くなりました。

いったん家に帰って着替えやお泊りセットをバイクに乗せて首都高速から中央自動車道を使って八王子に向かいました。

八王子インターを降りる前に立ち寄るサービスエリアがあるのですが、そこでメールを見ていたら4時過ぎに5時から座禅ありますか?と問い合わせが入っていることに気づきました。

が、回答しようがありません・・・(まだ道場行くまで詳細なスケジュールがわからない・・・)

八王子インターを降りて、摂心会の会場である禅東院へ行ったのですが、果たしてその方は来られませんでした。

夜、その日のスケジュールが終わってから「直前で回答できず、すみませんでした、明日も、明後日も摂心会ですから、座禅の時間がありますので、お待ちしています」と返事をしておきました。

そうしたら、次の日の朝の座禅会へその方が見えられました。
20代の若い女性で、八王子にいらっしゃるということで自転車で来られるそうです。

ホームページを作った私としてはとても嬉しい来訪者でした。
休憩を挟んで2回、1時間ほど座禅をされてお帰りになりました。

またおいでくださいね!!

心印 拝

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   今まで、その3までは、以下のタイトルでした。
その1、「直ぐ(仕事に、勉強に)取り掛かれる座禅の効果」(6/9)
その2、「他のことに気を散らさないで今に集中できる座禅の効果」(6/19)
その3、「情報過多の現代において、常に平常心を保ってことに当たれる座禅の効果」(7/6)
今回は、「コンプレックスからの解放」についてお話しします。

  素直な人はいろいろなものに興味を持ち続け、その一つ一つに秀でてきます。人の言うことを素直に吸収する人は成長します。この素直さを妨げているものの一つにコンプレックスというものがあります。

コンプレックスが素直に学ぶことを妨げるのです。教えられることを嫌う、うまくできなかったときの心配をする、謙虚に学ぶことに全力投球で打ち込むことができないのです。

コンプレックスは、チッポケな「我」が生み出す二つの迷いの一つです。 一つは優越感(Superiority complex)で人と比べての増上慢になるもので、鼻持ちならない嫌われ者です。

もう一つのコンプレックスが、自分を過度に卑下し、素直さを妨げる劣等感(Inferiority complex)です。これは、増上慢の裏返しで、卑屈になり、他人の幸せを羨み、そして引きこもり、対人恐怖症まで広範な症状になり、その人本来の素直さをそぎ落とします。

座禅をやり、三昧が身に付き、人間形成が進んでくると、チッポケな吾我がだんだん大きな自我に転じてきます。転迷開悟です。

チッポケな「我」がチラッと顔を覗かせても、それにすぐ気づいてそれを未然に消して行くことができるようになる。こうなれば、さばさばと何の屈託もなく、自然体であらゆる事に積極的に対応できるようになります。

鼻持ちならない優越感と卑屈な劣等感は、チッポケな自我の表裏であり、出所は同じチッポケな自我から出てきているのです。
転迷開悟で、大きな自我が常に確保できて居れば、常に平静な心の持ち様になるのです。これが素直な心であります。

この素直な心が常に安定にあれば、目下の者にでも頭を下げて教えを請うことができ、何からでも吸収し、勉強し成長することができるのです。
これは才能に関係なく、老若男女、貴賤を問わず、人種を問わず、ただ一日一炷香(毎日線香一本の時間 30分以上座禅をする)の座禅を継続するかどうかに掛かっています。

すなわち座禅による三昧は、他との差別を相対的にする頭頂葉の働きを抑え、自他不二を自ずと感得する前頭葉の働きを活性にするのです。
別の言い方をすれば、座禅による三昧は、チッポケな自我を空じて、大きな自我を呼び覚ますのです。

座禅は、一人でやるとなかなか継続できませんが、このHPにある週例座禅会(土曜日、水曜日、日曜日)などに出席して、みんなと一緒に座禅三昧を行じ、他と比較してぶれることのない素直なこころを常にキープするようにしてください。(春潭)
先日は、午後から久しぶりの茶道の稽古。 先月退院されたばかりの茶道の先生に、炉のお点前をご指導頂きました。 旧暦では、6月末で一年の半分が終わり、暑気を払うにちなんで、「水無月」という三角形の餅菓子を頂きました。 (小豆が乗っていて、美味しいのなんのって☆) 茶室の凛とした空間のなかで。。 心を込めた所作を大切になぞっていくと。。 忙しい日常のなかで鈍っていた心の感覚が。。 一つずつ、ゆっくりと開いてきます。。 主客がひとつになって。。 ただひたすらにお茶を点て。。 その全体を味わうという「三昧」に浸りこむ時間。。 やがて。。 自分と。。 境(対象)とが。。 ひとつになり。。 渾然一体と融け合う状態のなかで。。 心の鏡に映りくるのは。。 柄杓で掬い落ちる、一滴の雫のなかに。。 普く、この宇宙ぜんたいを宿す尊厳性を見。。 また。。 一杯のお茶を頂く所作のなかにも。。 天地の乾坤を一息に飲み干すことができる心を宿す。。 時間や空間は。。 心が創造する。。 大自然のリズムや、宇宙の周期をじかに感じるのは。。 日日の、その何でもない、当たり前の行道のなかにあるのだということを。。 改めて想い出し、実感させられました。。 先生のご指導と。。 茶禅一味の御徳に。。 気持ち新たに感謝を込めて。。 今年後半もまた、精進したいと思います✨(*^^*) 松田 大愚 
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