東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
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【参加者】:9名
  《会員》3名:如法 大愚 龍巌
《一般》5名:Wさんは、4月に山梨に出張されてから初めての参加、静坐後は禅東院に宿泊されて、大愚さんと早朝から坐禅をされたそうです。
《新到者》1名

日中の暑さと比べるとずっと涼しいと感じられるなかで坐りました。とても気持ちが良いです。
坐禅後の茶話会では道場長の如法さんが持参された資料を確認しました。曹洞宗の井上貫道老師のご提唱が文字起こしされたものでした。
中でも印象的であったのは、こんな話です。
人は誰かに言われたことがいつまでも残っていて、それを思い返しては腹を立てている。だけれども自分の身体を見てごらんなさい、それはどこにも留まっていません。見たものが目にずっとくっついていますか、聞いたことがずっと耳に残っていますか。
いったいそれらをいつ捨てたのでしょうか、見たもの、聞いたものを捨てようと思って捨ててきましたか。なにもしないのに、皆さんの有り様というのはこんなにうまくできているのです。これが皆さんの本心、本来の面目です。皆さんの有り様はこれから修行してつくるのではない、すでにできているのに、気付いていない、知らないから、頭で色々考えてとんでもない方向に道を求めてゆくのです。お釈迦様は自分の本心の有り様に目覚めたのです。仏教とか禅というものが、自分の身体以外にあると思ったら大間違いなのです。 悟りとは、自分自身の本当の有り様を見届けることです。それを自覚と言っています。何を悟るかといえば、自分自身の内容なのです。お釈迦様も修行をしながら、なにと付き合ったのかと言えば自分と付き合ったのです。

自分の中にある正しさを坐禅の修行によって掴み取っていく、そういった禅宗の考え方がわかりやすく説明されていました。
日中の疲れを癒やしに是非ご一緒に坐禅を致しましょう。
合掌 古江龍巌 
Ⅴ 道力と道眼
1 道力と道眼
前述したことは数息観実習により三昧力を養い、澄み切った心を取り戻すということでした。これらは主に座禅の「道力」(どうりき。真理を行じる力)といわれる効果です。座禅のもう一つの効果は、「道眼」(どうげん。真理を見る正しい眼)を開くということです。
   座禅の本来の目的は、自己とは何か?自己の人生とはいかなるものか?という根本問題に対して、明確な解決を見つけることにあります。その方法となるものが「道眼」です。
数息観が身につけばどなたでも効果はありますが、道力は養えても道眼を開くことはできません。道眼が開かれなければ人生の根本問題を解決することは難しく、禅本来の深い法理を味わうことはできないと思います。座相を身につけある程度数息観に習熟し、更に禅を学びたいと思われた方には、参禅(入門)の道を開いております。

2 参   禅
参禅とは、正脈(正しい法を受け継ぐ)の師家から公案(誰にでも共通する人生上の根本問題)を授かり、工夫三昧によって得た自己の見解(けんげ。解答)を師家に提示して、その浅深邪正の判断を受け自らの境地(心の向上)を高めていく指導方法です。
参禅は独参(どくさん。師家と一対一)形式で行います。人は生まれた境遇、育った環境などにより様々です。独参はその人なりに対応して、その人に沿った人間形成を目指していく方法です。例えば山を登る場合、東から登った方がよいか、西から登った方がよいか、師家はその人に応じた正しい道標を示すのです。ただし、実際に登るのはその人自身です。座禅はあくまでも自力の修行です。独参は人間禅(臨済宗)特有のもので、もっとも重要な行事であり厳粛に行われます。
3 公    案
1)公   案
公案とは、古来より伝わっている人間として解決しなければならない人生上の問題のことです。人間禅では200則定めております。初めの公案は『本来の面目』というもので、揺るぎもない自己を手に入れることにあります。
人は生きている間、嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい、等々いろいろな感情が出て振り回されて生きております。まず、その感情の出てくる出所(正体。心の根源)を突きとめ、しっかり自分の手で掴み取り、振り回されない自己を確立するというものです。予期しないいかなる状況に遭遇しても動じない。この解決なくしてほんとうの安心(あんじん)を得ることは、ほとんど難しいと思われます。

2)見性とは
初めの公案が許されることを「見性入理」といいます。見性することは容易ではありませんが、見性したときは今まで味わったことのない大きな喜びとなります。そして、その後の修行によって人生を生きることの喜びを味わい、同時に他を敬う心を深めていくのです。
某哲学者の言葉に、「皮膚の言葉より内臓の言葉を」言葉には2種類あると残されました。皮膚の言葉とは、美しい花を見て「きれいだね」とだれかに説明するような言葉。内臓の言葉とは、腹が痛くて思わず「痛い!」と叫ぶように自分の内側から口を突いて出る言葉とのこと。座禅はむしろ内臓の言葉に近いでしょう。一度味わった痛さは二度と忘れないものです。喜びも同様のことがいえます。

参禅を希望なさりたい方は、私たちの集まりのことをよく理解し納得した上で申し出てください。師家と面談して師家からみて相当であることを認めてから許されることになります。入門後は入会をお考えいただくことも必要です。参禅を希望なさらない方は、引き続き数息観実習に励まれてください。
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クリエイト静座会の開催報告をいたします。

      記

日時:平成29年7月16日(日)午前9時30時~12時

場所:八王子クリエイトホール9階和室

静座:3炷香(25分×3)、輪読

参加者:一般の方 6名  会員 臼杵、片野、栗原(以上9名)

コメント:
・今回の輪読は白田氏の「坐禅と数息観について」を読みました。12ページと長文でしたが、分かりやすく書かれているので参加者も理解を深めたと思います。参加者は6名(会員3名含む)でした。輪読後、呼吸法についてちょっと議論をいたしました。 ・今回は1名の女性の初参加がありました。テーラワーダ会の瞑想の経験があるということで、座り方や数息観についても一定の知識を有している方で、輪読にも参加して頂きました。

合掌  道活 拝
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 千代田線亀有駅に程近い和菓子屋、「あまからや」さんにて聞書き。ここの和菓子屋さんは生クリーム大福が絶品である。店主は和菓子屋を営む傍ら、武道を老若男女に教えている。
訪ねたのは随分時を遡るが、今でも心に残っている聞書きをご紹介しよう。
 それは「自分勝手」と「自分らしさ」の違いである。
 例えば、先生が生徒に大きく「あ」の字を書いてみよと指示したとする。「自分勝手」な生徒は「あ」ではなく「A」だの「い」だの好き勝手にしっちゃかめっちゃか書く。一方、「自分らしさ」のある生徒はここ一番の「あ」を追求する。その「あ」はやけに右上がりであったり、丸っこかったり…、表現の仕方が自由なのだ。
 これは、とても分かりやすい例えである。思わず膝を打った。人にモノを教える人ならではの観点であった。
 翻って、社会における「自分勝手」と「自分らしさ」の違いは何であろう。私は上記を踏まえて以下のように考える。「自分勝手」とは集団を離れた個である。孤立した個であるので、集団のルールに従わおうとはしない。そして、相手を鑑みない。結果、爪弾きされやすい。一方、「自分らしさ」とは集団の中の個である。集団の和(ルールといっても差し支えない)を守るのと同時に、確固とした信念を持つ。そのため、同じ行動を取ってもやり方は十人十色である。
「自分勝手」と「自分らしさ」の善悪はさておき、さておき。「自分勝手」と「自分らしさ」を混同する者は後を絶たない。「自分らしさ」とはひたすら打ち込んで得るものである。「自分勝手」とは自我流の論理で動くことである。とはいえ、「自分」とは何であろう。分からなくなる方は多く存在する。私達人間はよく何かに没頭するが、「没頭している自分」にどれだけ多くの人が気付いているだろうか。大抵「自分」が分からないという人は外側から自身を見つめる目を欠いている場合が多い。禅は外側から自分を見る目を与えてくれる。たとえ禅という形を取らなくても、瞑想でも他にも様々な方法があるだろう。後は好みの問題である。「自分」を知りたいのであれば、どんな事柄に没頭しやすいのか、自分を外側から眺める(自身を客観化する)ことをおススメする。初めて禅の世界に足を踏み入れた時、「禅とは自分探しの旅である!」と喝破(?)したことがある。(禅は進めば進む程、奥深い世界が存在する。それを知ったのはまた別の話である)あながち的を外した表現ではないが、全てを表すのにまだまだ言い足りない。自分の知っている「自分」は氷山の一角。深堀するかしないかは諸君にお任せ、お任せ。  平成二十九年文月
 翠珠 記ス
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参加者 6名  会員 如法 紫光

 蒸し暑い夕方であったが、やはり道場で座禅するのは、自宅で座るより充実感があり、ベテランの方々と共に、すがすがしい静座会だった。
 私事ですが、3月頃から肩こりとなり、その原因が猫背と整形外科の先生に言われ、今良くなってきてはいるが、牽引とマッサージを受けている。
 自分では気づかなかったが、以前葆光庵総裁老師に、摂心会の始めに当っての話を伺う重要な時に、「紫光禅子、背筋を伸ばして」と遠くから注意を受けた。
鋭い御指摘だった。その頃は肩の痛みもなく、自分では普通だと思っていたので、はい、と答えたくらいだった。でも、気にはなっていた。また、ある大先輩に座禅の際「頭が前かがみになると、頭で考えるからね」とも言われた。頭が前に傾く癖があった。
 お二人の話を伺ってから、できるだけ背筋を伸ばし、頭をまっすぐにしようとしてから、座禅の質が多少良くなった気がする。座禅は「調身・調息・調心」 とよく言われるが、あまり気にせず自己流でやってきた。しかし、姿勢を正す、調身をやらなければ、頭で考え、雑念の渦になるのでは、と気付いた。座相は大切である。背筋を伸ばし、地球の中心から垂直に立てることを心がけ、これから猫背を直し、日常の座禅の質を高めたい。
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クリエイト静座会の開催報告をいたします。

      記

日時:平成29年7月2日(日)午前9時30時~12時

場所:八王子クリエイトホール9階和室

静座:3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 3名  会員 臼杵、片野、栗原(以上6名)

コメント:
・今月から従来の第三日曜日に加えて、第一日曜日にも開催することになりました。今回は初めての第一日曜日の開催でしたが、支部会員以外で3名が参加され、そのうち新規参加者が1名でした。 ・第一日曜日は当面は輪読はせず、静座後は茶話会とします。今回の茶話会は5名が参加し、鎌倉の禅寺が話題となりました。

合掌  道活 拝
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参加者 10名 会員 如法,大愚,龍巌

少し蒸し暑いなかの静坐会となりました。
茶話会では2グループに分かれて自己紹介や坐禅に興味をもったきっかけなどを順番に話しました。
みなさん様々なご縁でいらっしゃっているので興味深いお話しをして頂けます。
仕事帰りにいらっしゃる方もございます。お仕事で忙しいなかでも何か正しいものを求めて坐禅に興味を持って頂けるのは大変有り難いことです。 お仕事を終えて心を少しでも落ち着けたいとき、ぜひご参加頂ければと思います。

合掌 古江龍巌 九拝
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 人間禅・女性部出版で1年に1度、全国の女性の仲間から原稿を募り、お互いに読み合い、布教の一端として「あけぼの」という冊子がある。今年の「あけぼの」の巻頭言に、禅の大先輩であられる、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の「己にもゆる」という玉稿があり、私の大きな励ましとなった。
 「己にもゆる」とは、人間禅を創設された、今は亡き耕雲庵立田英山老大師の俳句「老いらくの己にもゆるや桃の酒」から取られ「自主的な禅者の生き方をさりげなく示唆されておられ、主人公である自己が時には居眠りしていたり、意気消沈していないか、自らに警策を加え、【よーし、燃えているぞ】と自らに返事をし、老いて猶たゆみなく己を錬磨されているお姿が目に浮かぶ」と老禅子は書かれている。近頃、何につけ「意気消沈」してばかりの私には、ぴったりの警策であった。母の介護もあり、摂心もほとんど参禅のみしか参加できず、日常は今一つの生活を送り、身体も長年の腰痛に加え、肩こりまでなった。私としては「意気消沈していないか?」という言葉にハッとした。
    老禅子はこうも語られている。「禅の修行にしても、折角ご縁を得て入門してもいつの間にか初心を忘れ、些細なことを問題にして修行を中断したり、のらりくらりと修行をしていては勿体ないことです。人生は【無常迅速】で歳月は人を待たずであります。」と。時に人間関係などの「些細なこと」の煩悩に引っ張られる私には、またその後に続く文章が心に響いた。「只今のこの一事に「己にもゆる」ことです。自我の愛着を根からたち切り、他に依って動かされることなく、幻を追うて生きている現状を打破して、ほんとうの自己を育てていくのが禅の修行であります。」と。自分の心の中に根づく「あの人は私のことをこう思っている」「あの人に嫌われている」「ああ言われたらこう言おう」ちょっとしたお叱りでへこんだりする、いやらしい愛着・煩悩を根からたち切れ、というアドバイスで吹っ切れた思いをし、ここを何度も何度も繰り返し読んだ。『只今のこの一事に「己にもゆる」こと』という禅の修行で最も大切な絶やさぬ正念の工夫を取り戻し、一時一日をサバサバと生きていければ、と私なりに強く思った。  「【正法の禅】の人間禅は、人間形成を主とし、新しい時代に合わせて、全ての志ある人々に開放され、家族や社会生活を営みながらの修行であります。時には都合がつかずどうしても出来ないときもあるでしょうが、ほそぼそでも続けることが大切であり、この修行に命をかけることです。継続することによって、智慧が磨かれ、命の尊さ、生きる力が湧いてきて、秩序だった生活、礼節も信(まこと)もそして正義も確立されるのです。」と言われている。今の自分は未熟だが、こうした境地にまで、この禅の修行を続けていけばなり得るかも、という希望も湧いて来た。今、何かに折れそうな時、この老禅子の玉稿を読み返して勇気づけられている。
参加者:10名       会員:大愚 龍巌

 空は曇っていたものの、すこし蒸し暑い気温でした。
 今回は熱帯のジャングルに居そうな、力強くクルクル啼く鳥が庭で遊んでいて、坐りながら雑念を追ってしまっているときに何度もハッとさせてくれました。
初めていらっしゃった方がお三方とも女性の方で、参加二回目の女性の二人をあわせて5人の女性が坐られました。どんな方でも居心地良く坐って修行に励めるような道場でありたいと思います。
参加二回目のお二人はヨガを長年されていることもあってか、座相がかっこよくどっしりと坐っておられます。とは言え身体の固い方も、坐禅を続けていくうちに身体も柔らかくなって坐り易くなってゆきますのでご安心下さい。
茶話会では、静坐会常連の方たちと一緒に磨甎庵老師の法話である『坐禅と数息観について』を部分的に輪読しました。
ちょっと試しにやってみる禅、といった風の坐禅ではなく、「人間の心そのものの本当の姿」、お釈迦様の仏道を坐禅だけによって目指すというような、深い本格の「坐禅と数息観」について述べておられるものです。様々の戒律や難行苦行、お経であるとかが全て含まれている坐禅、含まれるような坐禅をやりなさいとあります。 僕も読む度に、もっと一回一回の坐禅を大切にしなくてはいけないなと反省させられます。興味ある方いらっしゃいましたら静坐会で会員のものにお申し付け下さい。

合掌 古江龍巌 九拝
参加者:7名 会員 如法 大愚 海月 龍巌

大雨が止んでひんやりとした中での静坐会となりました。
 天気の影響か静坐中、空気のなる音が耳に心地良かったように思います。
 茶話会では珍しく社会の話が出まして、SNS等によって世代間のギャップがぶつかっているのが目につくというお話しが出ました。
 上の世代も若い世代も、お互いに理解し合おうとする姿勢がより必要になってくる時代なのかもしれません。
 次回土曜日の茶話会では長年静坐会に参加されている方向けに、坐禅に関する資料を確認できたらと思います。どうぞご参加ご検討下さい。
合掌 古江龍巌 九拝
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