東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
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【参加者】:7名
  《会員》名:如法 龍巌
《一般》5名
《新到者》0名:

【内容】
午前中は雪が降ったほど、久しぶりの寒さの中で座禅をしました。
夜は夜話会(懇親会)もあるため、午後3時から4セット座りました。一つ一つ、座るたびに、頭もすっきりして素朴な気持ちになれるように思います。
家じゃ絶対座れないけど、静座会に来ると座れるから助かっているとの話もありました。
座禅の後は静座会のメンバーみんなで協力してキムチ鍋を作って頂きました。みなさん片付けまでしっかり手伝って頂けるので有り難いです。
夜話会では公衆電話の時代にガールフレンドに電話をかけることの大変さから、進路に悩んでいる学生の相談まで、楽しく仲良くときに真面目にお話しました。
一緒にご飯を食べてお酒を飲むと、一気に距離が近付きます。当たり前の話ではありますが、一人一人様々なご縁をつなぎつつ、これまで生きてこられてきたんだなぁと感じます。そういえば話の中でも、様々な縁は自分で働きかけてこそ縁としてつながってくるのであって、ただあるだけでは意味がない、なんて話もあったように思います。
この座禅会も、ブログの投稿も、皆さまにとって良いご縁となったら嬉しく思います。
誰にでもピッタリくるものではないとは思いますが、どうぞ一度は座禅を体験なさってください。

合掌 古江龍巌 九拝
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


         記

日時:平成30年3月18日(日)午前9時30分~11時45分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)及び輪読

参加者:6名(内会員1名)

概況:
・参加者は6名でそのうち新到者は女性1名でした。
・静座の後は輪読をしました。資料は道元禅師の「自己をならふといふは、自己をわするるなり」に関するものでした。著者は「自己をならふ」とは自分の「物差し」をどういうものか見極めることであり、また「自己をわするる」というのは「物差し」を修正したり取り払うことと論じてます。

合掌  道活 拝
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Ⅷ お わ り に
某教師は、「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」といわれました。数息観の効果はすぐには感じとれないと思います。数息観は根本から心身の安定をはかる修養法で、一時的なものではありません。ただ、続けますと大きな効果を持っていることも事実であります。
私たちは仕事をお持ちの方はその仕事の中に、主婦の方はその家事の中に、学生の方はその学問の中に、生活そのものの中に禅があるという立場をとっております。どなたでもどのような理由でも、それぞれの方に応じた無理のない修行環境を整えております。
ときには静かに自己を振り返る時間も大切なことと存じます。一度体験なさることをおすすめ致します。
  合掌
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参加者 9名
会員 如法 紫光
一般の方 7名
 
  雨続きの後、天気は晴れ、まだストーブをつけるくらい寒かった静座会でしたが、春は近づいてきたと感じました。ご家庭を持つ主婦の方が、茶話会にも出られず座禅だけのご参加でしたが、励みになります。茶話会では、東日本大震災、ラグビーのW杯、パラリンピックの話となり、如法さんの娘さん達が、ラグビー部のマネージャーをやったり、サッカーをされたりの実践から、スポーツは楽しくなければね、等と和んだものとなりました。         
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


          記
日時:平成30年3月4日(日)午前9時30分~11時45分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:5名(内会員2名)

概況:
・参加者は5名と前回に比べて少なかったですが、静かに粛々と座ることができました。
・静座の後はお茶を飲みながら、数息観についての話をしました。人の頭には妄想が自然と浮かび上がってきて悩みの原因になる。数息観で三昧を実現することにより妄想の発生を抑えることができる。それにより精神の安定が得られるという効用があるというような内容のお話でした。

合掌  道活 拝
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【参加者】:11名
  《会員》3名:大愚(宿泊) 紫光 龍巌(宿泊)
《一般》7名:
《新到者》1名:

【内容】
 今回は月に一度の一泊座禅会ということで、早い方は15時から45分×4セットも座禅をされていました。3セット、4セットと続けて座ると、思考もすっきり素直になるような感じをもてるのではないかと思います。
 一泊座禅会は各自が無理なく自分のペースでしっかりと座禅をすることができますので、お寺でかっちり座禅三昧の時間を過ごしてみたいという方は是非ご参加ください。
 座禅が終わってからは近くのつけ麺屋さんで夕食を食べ、銭湯にいっていろいろな話をしました。
 今回は僕の大学の友人が来ていました。彼も宿泊したので、夜遅くまで座禅や人生についての話をしました。
 座禅歴20年になる先輩仰っていた言葉が印象に残りました。自分とは何か、自分の人生とは何か、悩み抜くことは大切なことだけれども、その問いに正しくぶつかっていくことは難しい。座禅はそんな大きな問いに正しく、納得のいくまでぶつからせてくれるものだ、とのことです。
 様々な価値観が混在している現代社会で、自信を持って自分の道を歩まれている方というのはなかなかいないのではないかと思います。
自分の人生に納得の行っていない方、ぜひひとつ座禅の道を試してみてはいかがでしょうか。
合掌 古江龍巌 九拝
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そうアメリカ旅行だけど、2週間あると案外色々行ける。最初はセドナ。
特に世界一のパワースポットで、朝から坐禅してみたい。やってみた。
インディアンの聖地、とんでもないパワーが漲る岩山で毎日3時間以上は坐禅。
特に朝日と、夕暮れはすごい。もう見るの最後だなって思うとありがたいものだったよ。
坐禅が色んな意味きっかけを作ってくれた。そうなんだよ、いつの間にか自分は自己実現が出来ていたんだよ。
坐禅のおかげでドラマティックな冒険と人生を歩んできたんだね。
ほとんどの人があきらめちゃうけど、安定に腰を下ろさずに、きつい人生を歩むことで確実に一歩ずつ
登っているんだろうね。今は坐禅だけで修行しているとは決して思ってもいないけどベースになっている。
文章にはきついことも書いたかもしれないけど、人生は自分以外の事でそれに時間を費やすことがおおいけど
介護や先祖のことなど色々ある。ただ、その辛い出来事はその血をもつその人なりの、その一族ならではの
チャレンジで、ドラマティックなことなんだよね。遠い他人は関係ないし、もう実現しちゃっている人もいるし。
旅はいろんな発見をさせてくれる。普段はそんな落ち着いたモードになっていないから気がつかない。
人生自分はとっくに救われていたことも気がつかない。気づいてこそ他人に優しくなれる。
順番があるんだな、やっぱりこうせせこましい日本社会じゃ難しい。人生悔いなく行きたいって思っても
この社会の流れの早さは気をつけても危ない、死ぬる時やっぱり悔いが残ることに。
死と共になければ本当の人生は味わえないかもしれない。
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


          記
日時:平成30年2月18日(日)午前9時30分~11時45分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)、輪読

参加者:16名(内会員3名)

概況:
・今回は新到の方はいませんでしたが、会員含め16名が参加され、会場の和室2間がほぼ満室となりました。
・今迄にない人数のため直日(道活)の力量不足が心配でしたが、宗應居士、石仏居士がそれぞれ助警、聖侍で室内の空気を引き締めて頂き大変有難く思いました。ありがとうございました。
・前回に続き小学生の兄妹がご両親とともに参加され3炷香を座って行かれました。宗應居士から二人とも警策を受け(二人の希望で)、神妙な面持ちで座っておりました。
・静座後、輪読を行いました。今回は数息観の呼吸の集中の仕方に関する資料を読みました。資料の内容は、「無礙解道」他の仏典が数息観時、呼吸に意識を向ける際、その意識を向ける場所(つまり呼吸を覚知する基準点)を鼻頭或いは鼻端であると言っているということでした。数息観を実施するうえでの工夫の参考になればと紹介させて頂きました。

合掌  道活 拝
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 東山殿で行われた書院式殿中の茶の湯に比較すると、全く対象的な町人の茶の湯を工夫したのが珠光(ジユコウ)です。
珠光の考案した下京の茶とは客と茶を点てる亭主が、一つの座敷に集(ツド)うことを建前としています。亭主自ら客の前で道具を扱い、茶を点てゝすゝめる、新しい茶の湯の考え方です。村田珠光は元、僧でしたが、茶事に熱中して寺役を怠ったため寺から追放され諸国を流浪した末、京都に来て三条町に居庵を構え、町人に茶の湯を教え、能阿弥に入門、立花と唐物の目利きを学んだといいます。次いで大徳寺の真珠庵に入り一休禅師について禅を学びます。その時、博多の崇福(スウフク)寺(ジ)から持ち帰りそのまゝにしてあった台子を大徳寺に取り寄せた一休禅師に、これで茶を点てる様式を研究するように言われ、台子を使った点前を考案したと言われています。珠光は茶禅一味の妙境を体得し、一休禅師から印可の証(アカシ)として、宋代の名僧圜悟(エンゴ)禅師の墨蹟を授かります。珠光はこの墨蹟を表装して自庵の床に掛け、ひたすら茶の湯を楽しみ、仏法も茶の湯の中にありと悟ったそうです。茶禅一味の境地です。
 立花と唐物の目利きの方法を教えた能阿弥も、珠光に茶の湯を学び、二十一ヶ条の秘伝を受けたそうです。そのことを義政に言上したので、義政も珠光に茶の湯を学ぶことになりました。能阿弥は義政に「茶の湯に身を投げ打ち、又孔子の道をも学んだ者」と言上しました。珠光の茶道には仏法のほか儒教をも加味していたようです。珠光は八十才の高齢で亡くなりました。
 珠光は茶の道を立てるために、茶席から博奕(バクエキ)と酒盛を追放しました。風姿(フウシ)花伝(カデン)書(シヨ)にもある、「好色、博奕、大酒、三(サン)重(ジユウ)戒(カイ)これ古人の掟なり」を応用して茶会の秩序を正しました。弟子達はこの戒律を守り、茶の道に精進し、その風尚が京都、奈良、堺の町々に広まったため、闘茶の遊びは急激に廃れたようです。
この時代は唐物万能でした。茶の道具として唐からきたものはなく、有名な作物(ツクモ)茄子も元来、香油の壺のようなもので、形が茄子に似ているので作物茄子と名を付けて茶入れに見立てたのは珠光です。九十九茄子とも言います。
 人の見過ごすような物の中に茶の道具として使える美を見出して使いこなす目利きも大切です。珠光はこの様な信念と見識の元に、あらゆる作意(サクイ)を凝らして茶室や茶道具を改造し、新鮮な創造を試みた為、茶生活の様相が此処に一変しました。書院の広間にかわり草庵の四畳半を真の座敷とし、これをスキヤ数寄屋と称しました。書院飾りに対して数寄屋飾りの方式を案出し、書院で用いた黒塗りの真の台子に対して白木の竹軸(タケジク)の竹の台子を考案し、床の間の掛け物は墨蹟を第一とし、唐物の茶器はたとえ下手(ゲテ)物(モノ)であっても人形手(デ)の青磁と抛(ナゲ)頭巾(ズキン)肩衝(カタツキ)など、侘びた風体(フウテイ)に富む侘び道具として愛好されました。
この時代、武人も町人も嗜みとして連歌、音曲、能、香、立花は欠かせず、茶も大切な教養の一つでした。それを珠光が取り上げて幕府の一角で興行し、やがて紹鴎(ジヨオウ)、道陳(ドウチン)によって整備整頓され、利休によって完成されました。数寄とはその文字の示す通り、数を寄せることです。その個々のものが持つ味わい以上に別の世界が醸(カモ)し出されることで、これが数寄の世界です。
珠光の名言に「藁屋(ワラヤ)に名馬繋(ツナ)ぎたるがよし」という言葉が有ります。みすぼらしい藁屋に名馬が繋がれているのは、茶の湯の取り合わせのことを言っており、何とも趣の深いものだというようです。侘びと派手との相照にこそ茶の美が有るということでしょう。これが以後に言われる、さびの境地に相当すると思われます。
 この頃の社会の様相は応仁の乱を境に一変し、下剋上の風潮が世を覆いました。義政の東山御物も転々と売買されて、次第に三好、松永らの新興大名、興福寺、本願寺など大寺院、京都・奈良・堺・越前・博多の富商の所有になってしまいました。珠光の門弟には、珠光流の二代目を嗣いだ京都の村田宗珠(ソウシユ)、松村(まつむら)珠報(シユホウ)、篠(シノ)道耳(ドウジ)他大勢います。主に堺の富商が多いようです。
 堺の、それぞれ屋号を持つ主立った商人達は名器の所有を誇り、家業に勤しむ傍ら茶道に精進、数寄者としての自信を持っていました。珠光の直(ジキ)デシ弟子、鳥井(トリイ)引拙(インセツ)、誉田(コンダ)屋(ヤ)宗宅(ソウタク)、竹蔵屋(タケクラヤ)紹滴(ジヨウテキ)などが尊敬されていました。能阿弥の弟子島右京は珠光の死後、堺の町に移住し隠者となって空海と号し、その門下に北向(キタムキ)道陳が現れました。道陳は能阿弥流の茶の湯を伝えた最後の数寄者と見なされています。千利休は最初道陳に茶を教わりました。室町時代末期になって、鳥井引拙に次ぐ名人武(タケ)野(ノ)紹(ジヨウ)鴎(オウ)が出現しました。
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【参加者】:9名
  《会員》2名:大愚 龍巌
《一般》7名:
《新到者》0名:

【内容】
 何日か振りにキリッと寒い日でした。ストーブをつけてもかなりの寒さです。
 冬は木の窓を締めていることもあり、消防車出動の音しか聞こえないのでさみしいとのお話しがありました。たしかに前はあんなに鳴いていた鳥ももう来ません。川では寒い水の上を走り回って獲物を取っているのですが。
 けれどもまだ庭には雪が残っているので、窓にむかって雪を見ながら座禅をしたいとおっしゃった方がいました。次回は窓の方を向いても良いかもしれません。いずれにしても、座禅会は季節の移り変わりを感じられる良い機会です。暑さ寒さの話しだけだと人間にとっての話だけで終わってしまいます。
 仕事がハードで体調を崩してしまったという方のお話しもお聞きしました。病院の薬は結局症状を緩和するだけのものに過ぎず、根本的に心身の健康を取り戻したいということで座禅に興味をもって頂いたようです。
 僕の体験ではありますが、一年ちょっとくらい座禅や参禅修行を続けてからはもともと抱いていた悩みはほとんどなくなり、それ以後はもっと自分を自由自在に使って伸び伸びと生きたいという方向に変わっていったように思います。なので座禅には単に悩みの解決だけにはとどまらないものがあるのではないかと思っています。
 まだまだ寒さが続きますが、どうぞ一度はキリッと引き締まる座禅をご体験頂ければと思います。なかなか悪くないものです。
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