東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - ブログカテゴリのエントリ
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 座禅というものは何をしているのであろうか、ただ坐って無念無想になっているのではないか、という質問を受けたわけですが、矢張り、人間の心というものには、その働きの先端というのがあって、それを「気」というのです。
 例えば、どんなに高い技術や、広い知識を持っている人でも、「本気」でやらなければだめです。本気でやる。「やる気」がある。その「気」です。呑気、気性、気転、気狂い、などの気であり、藤田東湖の「天地正大の気」、孟子の「浩然の気」の「気」です。
 心の先端の働きというものは、非常に微妙でありまして、そういうようなものをしっかりと、正しく働かせる為には、一つに集中をすることが肝要です。私達は座禅をしまして、そして、自分の集中力を養ってゆくわけでありますが、実は、それを通じて、「気」というものの、正しいあり方を学んでいるのです。
 皆さんのお仕事もそうですが、何事もやはり、気を抜いたり、やる気がなかったり、本気がなければ駄目で、「気」というものがしっかりとそれに向いあって、それに打ち込んでいくという、そのことを通じて人間の心もほんものにな、っていくのです。だから、ただ技術だけではなくて、そういう技術というものに打ち込む、人間としての姿勢というものが本当でありませんと、やはり、本当の仕事というのはできない。そういう意味で、この「気」というものは、非常に重要な意味を持ちます。





                                 
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 私達は臨済系の禅ですから、一人で静かに座っているのではなくて、室内に身を投じて師家と一対一に相対して、真剣勝負の商量をする参禅弁道をするわけです。それを通して命をかけて真実の自分を取り戻すわけです。布団の上において座禅して、自分と言うものを限界状況まで追いやって、自分という殻を突き破る。そして、自分自身の本来の姿というものを取り戻していくのです。
 ですから、外から見ていると、座禅なんてものは大変に暇で、ただボンヤリと座っているように見えるでしょうけれども、そうではない。実は一点に向かって己れを集中し、そういう限界状況を越えていく、という非常に苦しい営みを勇気を持って行っているのです。にっちもさっちもいかない、そういう状況の中に自分を追い込み、終に、小さな自分というものの我見を破る。
 苦しみを通して得たところの、本当の人間として甦ってきた人間性、そして、人間としての慈悲や勇気や戒、そういうものを本当に取り戻した時に出てくる悦びによって祝福されない満足や幸福というものは、ほんものではない。神聖で荘厳ないのちの光を認めることができないからです。どのような宗教を信じておろうと、そういうことを経験しない人は、ほんものの幸福をつかむことはできない。つまり、本当の自己を取り戻し、生きることの神聖さを体得しなくてはだめだ、と思うのです。





                                 

座禅

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執筆 : 
八王子支部 2014/6/16 6:18

 この度訳あって入院した。手術後3日目の朝、一人座禅をした。有明の海が広がり、右上方にスカイツリー、左上方に東京タワーまるで雲の上の座禅のようで気持ちがよい。
ほんの30分ほどの座禅でもここにいられる幸福を感じる。私のためにもう60年以上も働いてくれたこの体を、こんどからもう少し大切にしていこうと思った。玉舟拝





                                 
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土曜座禅会報告(6月14日)

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執筆 : 
八王子支部 2014/6/15 9:32

参加者 大石如法 Kさん Hさん 鈴木翠珠 加藤紫光の5名
 
長谷川さんは、八王子在住の方。ホームページを見て来られました。「座禅 八王子」で検索されたそうです。気さくな方で、これからも座禅会に来られると嬉しいです。
 
サッカー大好きの如法さんのサッカーのお話から始まり、新しい方へ、禅や公案等、解り易く噛み砕いて教えて下さいました。道元の「普勧坐禅儀」の書の額を見せて下さり、翠珠さん、食い入るように見て、如法さんの解説に耳を傾けておられました。道元の書は長いのに、きれいに書かれており、厳しいお人柄が字に表れていました。合掌
加藤紫光拝






                                 
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座禅して楽しかった

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執筆 : 
八王子支部 2014/6/14 8:01

 この言葉は、M老禅子がお話になられたものである。
小生と共に、20才代前半から修行した仲間である。
お付き合いは、随分長くなった。
今は病気療養中のため、残念ながら道場へは来られなくなってしまった。
年に数回お見舞いがてら、お互いの近況報告に訪問する。
5月中旬、今年2回目の訪問をした。
例によって、昔話に花を咲かせた。その話しの中に“修行(座禅)は本当に楽しかった”しみじみと語っておられた。
一生、座禅と共に歩まれた方の言葉は、重い。
自分はどうであろうか?と一瞬とまどった。
3~4日後、お葉書が届いた。葉書の終わりに、キツ~イ励ましの言葉が添えられていた。
暑くなったらまた伺おうかな。
円定 










                              
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東北参禅会に参加して

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執筆 : 
八王子支部 2014/6/13 6:34

東北参禅会(6月6日~8日)に参加、遠くは新潟から前禅会長の参加もあった。
梅雨入りした仙台は期間中雨で十分な外の作務はできなかったが、皆座禅と参禅に骨折った熱い参禅会であった。
合掌 宗應 拝












                              
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4月
   天地(アメツチ)の音無き音す 春爛漫
 胆田に米寿を迎へ 朝静坐
 春光に包まれ吾れの米寿なり
 天地を足下に踏まえ 座禅する
 座禅せば 永遠(トワ)に聞こえる地虫鳴く
 
5月
 照るもよし 降るもよし 五月爽やかさ
 出勤の円熟の女御の美しさ
 爆音の遠くにありて五月晴れ
 悠久の音無き音あり 五月空
 学童の声ほがらかに春の朝












                              

 私は、座禅の修行をやりながら、色々の人の経歴なり、境涯というものを見ておりますが、どうしても本当の自分を取り戻すということのためには、ある大きな壁-近代的な表現ですと、限界状況-というものに当って本当にそれを命がけで越えていくという、作業を続けていかなければ、ほんものにはならない、そう思います。
 外から与えられたもの、知識として持つのとは違って、本当に自分で命がけで取り組みこれでいいんだ。これがほんものなんだ゛ということを、自分自身に納得させることができるというのは、やはり大きな壁にぶつかって、苦心しながらそれを突き破ることによって以外はできません。そうしないと、本当の自分というものが甦って来ないのです。
 つまり、大きな平坦な道ではなくて、非常に厳しい状況の中にそれを耐えながら、そういうものを突き破っていくという過程を通じて、己の殻が破れ、本当の己れ自身というものが甦ってくると思うのです。そういうことを経ない人は、却って非常に不幸で、結局は自分というものを本当の意味で取り戻し、本当の自由を体験することはできない。
 座禅ということは、そういう自己を殺すことを積極的に身に引き受けて、それを敢行してゆく道です。













                              

摂心を終えて

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執筆 : 
八王子支部 2014/6/10 8:51

 今回、私は初めての摂心に最終日のみの参加でしたが、新鮮な気持ちで緊張しながらお寺に参りました。
 禅の先生といえる老師に自己紹介をかねて挨拶をしに行きました。「なぜ君は禅を人生の一部に取り入れようかと思ったのか」と聞かれ、経営者と禅がつながっていたりしていることを話したりして入門しました。
 その後、作務をしたり、座禅を組んだり。途中参加でしたが、もしこれを4日間行ったらそれだけでも俗世から離れた感覚になるのではないか?と思いました。禅の修行をこんなに人が多い中でやったことがないので鐘の音、指導の声、八王子の街の音などなど、耳から入るものと座布団の形やお茶の作法など全てが新鮮でした。
 私の先輩が禅の問題をクリアし名前をもらう式典があったので、なんかうれしい気持ちにもなりました。自分も名前を貰えるように頑張ろうかなと思います。今まで禅とのかかわり方がよく分からなかったのですが、こういう場は普段五葉会サークルで培ったものとかを神聖な寺でやると全く異なる感覚でした。
 本当にはじめてで右も左もわからず、何がダメで何をすればいいのかもわかりませんでしたが、今日からが禅人生のスタートと言われました。いろんなルールを学び、一番下としてお手伝いをしたりなど覚えることがたくさんあって、大変難しいと思いました。入口に足を踏み入れたか入れないかくらいの状態なので、「考える前に飛び込んじゃおう!」といったそんな感じです。勉学と禅を両立してこれからの学生生活を有意義にしていきたいです。
                 中央大学商学部2年 原祥寛



 












                              
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座禅は、足を組んで、背筋を伸ばし、数息観法をします。
数息観法は、自分の自然の呼吸を数えて集中力、三昧力を養う東洋の三千年来の心を磨く観法です。
これは、吸う息吐く息で、ひとーつ、ふたーつと数えて行き、息を数えること以外のことは考えない。何か雑念が入ったらまた一からやり直す。これを毎日30分以上続けると、集中力、三昧力が着実につきます。
三昧力が身に付いてくると、今やろうとすること・今やらなければならないことに、躊躇なく直ぐ取り掛かれるようになれます。
これは当たり前のように思われるかも知れませんが、自分の若い頃からの経験・反省でもそうですが、これがなかなかできていない。
勉強とか仕事とかのみならず日常の雑務を、それが興味あるかどうかにかかわらず、またしんどいこととか面白くないことでもやらねばならないことであれば何でもさっと躊躇なく取りかかることは、なかなかできていないのです。
 
こういう乗りが悪い心理状態に引きずられることなく、それを意識する前にすぐ取り掛かれることも三昧に裏付けられた人間力の一つであります。すなわち三昧が身に付いてくると、何事に対しても常に躊躇なく直ぐ取りかかれるという体制が準備できているということであります。
 
 これが座禅の効用のひとつです。受験生の学習態度や、もっと一般的に大人の仕事力に、座禅の行を基盤にした「人間形成の禅」は素晴らしい効果を発揮します。
あなたも座禅を一度やってみませんか?
                     葆光庵丸川春潭総裁老師





 












                              
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