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八王子坐禅会の古江です。
毎日寒暖差が激しいですね。行事予定をご案内いたします。

【6月23,24日(土日)、一泊参禅会・夜話会(懇親会)】
6月23日から24日にかけて、一泊できる参禅会を開催します。

2回目の開催で、前回も多くの方にご参加いただきました。

摂心会修行とはまた一味ちがう、
八王子座禅会のみなさまとのリラックスした交流の場ともなれば嬉しく思います。

長い時間しっかり座りつつ、希望する方は参禅(老師との禅問答)や、本格の修行を始めている方と座禅の修行の話をしたりすることができます。

一泊で長い時間座禅をしてみたいという方、摂心会修行はハードルが高いけど、毎週の座禅会よりもすこし本格的な修行を体験してみたい方などにおすすめです。

また、普段の土曜静座会が終わった19時過ぎからは、これまで水曜日に行っていた夜話会(懇親会)がございますので、そちらだけでもご参加いただけたらと思います。
 いつものように、ご都合の合う時間だけの部分参加を歓迎しております。
【参加費】
座禅会のみ:300円
懇親会と座禅会:合計1000円
懇親会、座禅会、一泊:合計1000円
となります。

【スケジュール】
●23日 土曜日
14:30 座禅
16:00 参禅1(参禅されない方は通常の座禅)
17:00 座禅
18:30 参禅2(参禅されない方は通常の座禅)
19:15 夜話会(夕食懇談会)
  片付け・随時就寝
●24日 日曜日
 5:00 起床
 5:30 座禅
 7:30 参禅3(参禅されない方は通常の座禅)
 8:00 朝食・片付け
 9:00 解散

(今後の一泊参禅会の予定,8月11,12日(土日)/11月10,11日(土日))

【今後の摂心会修行のお知らせ】
今年度の摂心会修行の予定です。
7月14日(土)から22日(土)まで。(一週間の摂心)
10月3日(水)から7日(日)まで。
12月5日(水)から9日(日)まで。
1月30日(水)から2月3日(日)まで。

摂心会修行では、本格の修行を始めている方が5日間お寺に宿泊し、仕事や学業、主婦業等を無理なく両立させながら修行をしています。
この5日間はいつでも修行しているものがいますので、お時間のあるときに部分的に参加することができます。食事や宿泊も可能です。
参禅はせずに、座禅だけの参加も大歓迎です。最近の摂心では座禅だけ参加される方も増えてきました。
摂心期間中いつでも座禅をすることができますので、普段の静坐会のような坐禅を毎日することができます。
また坐禅にも慣れてきて、参禅などの本格的な修行に興味があるという方も、老師がいらっしゃる貴重な機会に是非ご参加下さい。本格的な修行の雰囲気を味わうことができます。
摂心会期間中は、禅を極められた方である老師がお寺にいらっしゃいますので、老師や長年修行されている方から、座禅ついてのお話しを聞くことができます。
スケジュールの詳細はホームページに載っております。

食事や宿泊などをされる場合は、準備いたしますので、
[hachioji.zazen@gmail.com]までご連絡下さい。
摂心に参加している知り合いの方に個人的に連絡をして伝えて頂いても良いです。当日の連絡でも構いません。

【横浜近辺の座禅会】
また、横浜線沿いのみなさま。横浜でも座禅会が開催されております。
合わせてご検討ください。

●横浜座禅クラブ
開催日時: 第1・第3日曜日 9時30分~12時30分
場所:   横浜市青少年育成センター 地下2階和室
 11月より、横浜市野毛地区センター
参加問合せ<hayashi.koji@jcom.home.ne.jp>

●大和座禅会
開催日時: 第2・第4土曜日 16時00分~19時00分
          もしくは 17時00分~20時00分
場所:   大和市コミュニティセンター中央林間会館
参加問合せ<yokoyama.740471@tea.ocn.ne.jp>

●茅ヶ崎静坐会
開催日時: 第2・第4土曜日 15時00分~17時00分
場所:   茅ヶ崎市小出コミュニティセンター
参加問合せ<K.Yamazawa@jcom.home.ne.jp>

私事ですが、僕は教育実習と就職活動でしばらく座禅会に参加できておりません。23,24日の一泊参禅会でみなさまとお会いできるのを楽しみにしております。

合掌 八王子座禅会 古江 翼 
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●参加者 13名

今回は大石如法住職が法事で不在の中、
レギュラーメンバーを中心に、安定した賑やかな静座会でした。
またWさんが久しぶりに参加され、宿泊・朝座禅もご一緒しました。
参加者は、Kさん Sさん Oさん Tさん Yさん W男子高校生 シニア男性 女性の方、如法さん、大愚でした。

新参加は、Uさん(女性)Iさん(男性)の、若手のお二人が
HPからのお申込みで参加でした。
Iさんは、ご自宅でもマインドフルネスを実践され、座禅会にも参加されました。

静座会終了後に、大石住職が戻られての参加。
茶話会の談話はサッカーの岡田監督と禅の話題でした。
「無心」からの状況判断が、チームスポーツを勝利に導く話は、とても興味深いものでした。
今後は、参加者の方々同志がさらに、お互いにより話ができるよう工夫できればと思います。

松田大愚 拝
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


       記

日時:平成30年6月3日(日)午前9時30分~11時30分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 4名  会員 栗原

概況:
・初参加の方はぜロ。
・今回静座が始まる前に数息観時に浮かんでくる雑念について参考までに曹洞宗他の対応お話しをしました。

合掌  道活 拝
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鼻呼吸は良い。   鈴木翠珠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/6/7 21:04
 はじめて禅の門を叩くと、坐禅の仕方についてのレクチャーがある。その中の一つに、呼吸の仕方も以下のように教示される。
「口も軽く結んで、鼻で自然の呼吸をします。よく深呼吸や腹式呼吸をするように説く人がありますが、そんな必要は毛頭ありません。ただ自然に深く大きくなったのなら、それはそれで又よろしいので、要するに意識的な呼吸をしないことです。あくまでも自然にしたがうのが、安楽の法門たるゆえんです。
❄「数息観のすすめ」(立田英山、人間禅教団、1995、p16)より引用
私はまま、眠り坐禅の常習犯でもある。どうしたら眠らずに、三昧の境地で坐禅ができるのか現在も探求中である。ある時はこのような仮説を立てた。深い坐禅ができないのは深い呼吸ができていないからだ!、と。とはいえ、深い呼吸とは何ぞや?私の頭の中で一論が帰結された。深い=いっぱい息を吸える・吐ける=口呼吸かな?そこで、口呼吸(吸う息)―口呼吸(吐く息)にLet’s try。前半は吸う息・吐く息が最初力んで音が漏れる、後半はすやすや…。何だかうまくいかない。禅はなるべく音を立てずに静かに迅速に動く。しかし、この坐禅では他の人への坐禅妨害ではないか?、いやいや慣れれば自然と「深い呼吸」とやらができて、坐禅妨害にならん筈…。この試行錯誤は2、3年前より始まり、つい最近まで続いた。
 そして、ある時、突然答えが出た。とある情報誌にその答えは載っていた。
「鼻呼吸には、口呼吸では得られないメリットがいくつもあります。
 まず、吸い込んだ空気をきれいにする『除塵作用』が挙げられます。私たちが吸っている空気の中には、小さなホコリや微生物、そして微生物の死骸など、いろいろなものが含まれています。
 しかし、鼻呼吸をすると、鼻粘膜によって有害な病原菌の約50~80%が除去されることがわかっています。
 さらに鼻呼吸では、鼻腔内を通る間に空気は適度な加湿と湿度調整がなされます。これによって気管の乾燥を防ぎ、ウイルスなどの繁殖を予防することができます。
 こうした鼻呼吸のメリットは、口呼吸ではすべて逆転します。口呼吸を続けていると、体にとって有害なものがそのまま気管や肺にまで入り込むうえ、必要な酸素を十分に吸収できません。
 機能から考えても、口はものを食べるための器官であって、呼吸をするためのものではありません。鼻という呼吸のための器官が人間に備わっているのですから、普段から鼻で呼吸するようにしましょう。」
❄新谷弘美(2018).「現代人の心身を健康へと導く正しい呼吸法」、すこやか、54、15-18.
 確かに無意識下の呼吸は鼻呼吸である。つまり、「鼻呼吸」を行うことで「自然な深呼吸」に近付いていくのであろう。深呼吸をしようとやたらと意識して行うと却って「深呼吸」から遠ざかる。故に、自然に自然に行っていくうちにいつの間にやら「深呼吸」になっていくのであろう。
 今後も鼻呼吸で「深呼吸」をLet’ tryである。合掌。
平成三十年水無月
翠珠 記ス
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ある日の夜坐に想う   松田大愚

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/6/1 17:05
背筋を、まっすぐに立て、
呼吸を純一に、澄まし切っていく。
青白い熱塊のような、一念不生の打坐。
古人は、云う。...
まず自身を修め、家庭をととのえ、
国(社会)が治まる、と。
「心」が、そのすべての土台であると。
心を同じくする仲間ともに、
新たな楽土を創造する今、
自身の修練にもさらに精彩を加えんと。
未来のために、進んで破壊し、
新たな時代を、創造できるかどうか。
次の70年を描くため。
いや、その先のもっと未来に、
さらに広い世界に、「心」をつなぐために。
「道」に逢い、「道」に参じることによって、
この時代の転換期の中で、
どんな創造性として、顕れ出るのか。
「道」として、
今ここで、どう働きでるのか。
私たち自身の在りようが、問われていく。
師の言を肺腑に刻みつけながら、
今年はさらに一段、
自身を内側から食い破って、
己を一新する、一年にする。
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


        記

日時:平成30年5月20日(日)午前9時30分~12時

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)、輪読

参加者:一般の方 7名   会員 古江、栗原

概況:
・初参加の方は、男性2名でした。最近、常連だった方の足が遠のいていてちょっと気がかりです。
・輪読は「数息観のすすめ」11ページから25ページ、「坐禅の仕方について」と「数息観の仕方について」を読みました。

合掌  道活 拝
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 その頃、勢力を得た織田信長が、三好長慶(ナガヨシ)、松永弾正によって殺された足利義輝の弟にあたる義昭を奉じて岐阜より上洛します。信長は三好、松永の党を征服すると、堺に二万貫の矢銭(ヤゼニ)を課してきました。
今まで自治制を布いて、どの大名にも支配された事の無い自由都市堺の町人にとっては大問題であり、早速周囲の堀を深くし、木戸を固め、菱の実をマ蒔き、浪人を大勢傭って軍備を整え、信長との一戦を覚悟しましたが、最終的には、信長に取り入った方が上策と、遂に軟派の申し出により矢銭を出す事になりました。
 この非戦派は殆どが数寄者で、今井宗久、津田宗及など率先して信長に近づいています。程なく堺に代官が置かれ、この町も信長配下に属することになりました。同時に、信長は京都、堺の名器を集め出しました。これを世人は名物狩りと言いました。これは足利義政の東山御物制定に倣ったものと思われます。かくして、天下の名器は続々と信長の元に集められ、堺の数寄者達は我も我もと信長に接近し、家臣達に茶の指南をしました。信長もこの道に親しむにつれて、これが社会の秩序回復の近道で有ることに気付き、茶の湯政道と称して、部下にも将士にも茶の湯を学ぶ事を奨励しました。信長は武(ブ)略(リヤク)一辺倒の反面、数寄大名足らん事を心掛けていたようです。又、重商主義政策を実施する立場から、堺の町を直接支配下に入れ、堺衆の今井宗久、津田宗及、千利休を御(オ)茶(サ)頭(ドウ)として召抱え、安土城内に茶屋を建て、京都に上洛すれば相国寺、妙光寺、妙覚寺などで盛んに茶会を催して、自ら茶を点てゝ振る舞ったそうです。家臣の内で特に戦功の著しい者に名物茶器を賞与とし、茶会を開く事を許可しました。許可されぬ者は茶会を開く事が出来ません。信長配下の武将、柴田勝家、ニワ丹波長秀、佐久間正勝、明智光秀等は恩賜の太刀の他、名物茶器を与えられました。秀吉も播州攻略の功労で、朝倉(アサクラ)肩衝(カタツキ)、茶入他七品を下賜(カシ)され、茶会を開くことが許可されました。その時の、秀吉感激の手紙が残っています。
天正元年(1573年)夏、宇治の槇島(マキシマ)城に籠もって、信長に反旗を翻した十五代将軍義昭が、逆に信長に攻められて、名実ともに室町幕府は滅亡しました。この時信長に宇治の町並みは焼き払らわれ、室町幕府の直接、間接の庇護を受けていた宇治の有力者、即ち茶作りの匠達は戦乱に巻き込まれ各地を流浪する事になりました。
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クリエイト静座会を開催しましたので報告いたします。


        記

日時:平成30年5月6日(日)午前9時30分~11時30分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 5名  会員 臼杵 栗原

概況:
・今回は新到の方は女性1名でした。
・静座終了後の談笑では、宗應居士在住の深谷市の話から渋沢栄一の話になりました。同翁の昔日の活躍の話で盛り上がりました。

合掌  道活 拝
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 人々を導いてゆくような偉大な修行者、宗教者、人格者の言葉を見ると、誰しもが徹底的に己に対して謙虚であるように感じます。十分立派な大人物じゃないか、と感じるのに、決してえばらず、どこまでもどこまでも自分を磨いているような人が多いです。
 どうして立派な先人は謙虚でえばらないのでしょう。内村鑑三の文章にその一つのヒントをみつけました。
 「罪はこれを見留めざるべからず(認めなくてはならない)。されども、これを見つむべからず。(中略)罪を見留めずして、その中(罪の中)に死する者多し。罪を見つめて、その殺すところとなるもの(自分の罪に堪えきれず死んでしまうもの)少なからず、悔悛は悔いなき救いを得しむるの悔悛ならざるべからず。死にいたらしむ悔悛なるべからず(悔い改めることは罪からの救いを得させるものでなくてはならず、過度な悔い改めによって自分を死にいたらしめてしまうものであってはならない)。」[()内はブログ執筆者の注釈。]
 と内村鑑三は言っています。(『現代日本思想体系5,内村鑑三』(亀井勝一郎編)1963年初版.p.380,「罪の処分」より引用)。
 人は自分の罪を認めなくてはいけないが、決してそれを見つめ過ぎてはいけない。そして自分の罪を認め、しかしそれを見つめすぎることはなく、それでいて自分の罪を悔い改める者は罪からの救いを得るのだ。内村鑑三はそう言っています。
 自己中心的な考えで人を傷つけたり、わがままを言ったり、無責任であったり、そうした罪は根深くて、なかなか抜け出せるとは思えないときがあります。人それぞれ、変えたいのだけれどなかなか変えられない自分や行為があると思います。それをあんまりじっと見つめすぎると、かえって身動きがとれず、絶望的になってしまいます。
 内村鑑三は、そのように罪を見つめすぎることに注意をなげかけつつ、変えられないもんは仕方がないじゃないか、と罪から目を背けることもしません。罪を適切に見留めることによって、罪からの救いを求めるのです。繊細で難しいあり方ですが、一つの生き方としてとても参考になります。
 内村鑑三が念頭においているのは新約聖書の「コリント後書,第7章の10」からです。これも引用します。

「それ神にしたがう憂は、悔なきの救を得るの悔改を生じ、世の憂は死を生ず。視よ、汝らが神に従ひて憂ひしことは、いかばかりのはげみ・弁明・いきどほり・おそれ・愛慕・熱心・罪を責むる心などを汝らのなかに生じたりしかを。」(『文語訳新約聖書詩篇付』岩波文庫,p.409より引用)
 神に従って憂うことは、一神教を信仰しない人にとっては、自分の罪・悪行を認めることといって良いでしょう。
自分の内の罪・悪行・わがままを認めることは、様々なものを私たちのなかに生み出します。その中にはおそれや弁明だけでなく、熱心さ、罪を責める心、励みもあります。つまり罪を認めること、謙虚であることは、そんな罪を少しでも抑え、恥ずかしくない人間を目指していくためのエネルギー、向上心、力の源ともなるのです。
 立派な先人たちが謙虚であった理由の一つがここにあるように思います。
 謙虚であり、自分はまだまだだと感じることは、そんな自分を少しでもマシにしようと更に自分に磨きをかけていく努力を生みます。先人たちは自己の内の罪を見留め、至らぬ自己を恥じるからこそ、さらなる精進を続けていく向上心をもっているのでしょう。
 しかし同時に内村鑑三の言うように、罪をあんまりに見つめすぎることは自分に対する絶望を生む危険があります。かといって目を背けてはいけない。
自分の中に認めたくない、嫌なところがあることを見留めつつ、それに引きずり込まれずに、むしろそれを力の源として精進する。本当に難しいことだと思います。
 私も座禅の修行者として、まずは自分が日々重ねているわがままや怠け癖を認めること、ちゃんと反省することから、始めていきたいと思います。お読みいただきありがとうございました。

合掌 古江龍巌 九拝
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アメリカはグランドキャニオンやザイオンなど、冒険のおもいっきり楽しい場所を回った。
日本人はどうしてもツアー客ばかりだ。それは正直もったいない。
ザイオンで川を登る遊びがある。ツアーはその入り口までくるけど、濡れて実際に登っていくのはこれからだ。
日本人は登っていくべきだ。毎日仕事を遅くまでしている意味はどうしてなの?自分もそこから先に行って本当に遊ぶのに
最近慣れてなかった。アメリカのアリゾナは広い、北海道の100倍くらいは広い。広く何もないこといがアメリカ人の
安心となり、パワーだ。土地にはパワーがある。空間にも。
禅ってそういうものでしょ、本来。無にはパワーみなぎっているんだよ。躊躇なしにそのパワーをつかみ取り、味わって人生をおえたいね。
アメリカ人は、禅以前にその空間にそもそも居て、元々パワーあるんだよね。体も違う歩き続ける体格だよ。アメリカ開拓時代があったけど
DNAに刻まれているね。じゃ日本人どうなのってことになるけど、日本は世界一のおもてなし国だわ、良い意味で。
アメリカ人は他人に関心をそれほど向けていない気がする。
アジア人は自分が可愛いと感じているのかな?でもある意味
村社会なんだよね、自分で窮屈にして、型にはまってしまっている。
こんな奴隷のような生き方は今後自分はもうしたくないと思った。
それにはやっぱり業と言われる修行が必要なんだな。あっという間に世間に飲み込まれちまう。
100人中自分一人でNOと言わなくてはならない。今までの日本人でいては自己実現は不可能に近い。
自分を解放し、早く自分に納得しそれでこそ他人に対して優しくなり日本人らしさもできるものだ。
伝統やしきたりで、腐った空洞の木になっちゃっているんだよ、また一から順に人作りをしていくしか
この国に道はない。あたりまえだけど、アメリカ旅行をしてきたからやっと見えてきた。
時には解放して、遊んでこないと。
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