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こんにちは。八王子座禅会の古江です。

11月17,18日は老師のいらっしゃる一泊参禅会を開催するとお伝えしておりましたが、
諸事情により、老師が来れなくなってしまったため、参禅会は開催できなくなってしまいました。
以前から予定を調整して頂いていたみなさま、申し訳ございません。

参禅はできなくなってしまいましたが、代わりに座禅に徹する、一泊集中打座会になります。
開始時間は毎週土曜日の坐禅会と同じ17時からになりますので、ご注意ください。
また、20時頃までいつもの会場(普門殿)は別団体が使用しているため、移動が可能になるまでは本堂の二階での開催となります。


【スケジュール】(曖昧ですみません、当日の参加者で相談します。)
●17日 土曜日
17:00 座禅開始(45分おきに休憩)
19:00ごろ、 宿泊希望者で相談して夕食。(調理はしません。)
夕食後、休憩終わり次第、座禅
21:30 ごろ    片付け・銭湯・随時就寝

●18日 日曜日
 06:00 起床
 06:20 座禅開始(45分おきに休憩)
 08:30 朝食(当日のメンバーでどうするか相談。食費は各自)
 09:00 解散、希望者はクリエイトホールでの座禅会へ。(12:30ごろまで)

【横浜近辺の座禅会】
また、横浜線沿いのみなさま。横浜でも姉妹道場の座禅会が開催されております。
合わせてご検討ください。

●横浜座禅クラブ
開催日時: 第1・第3日曜日 9時30分~12時30分
場所:   横浜市青少年育成センター 地下2階和室
 11月より、横浜市野毛地区センター

参加問合せ<hayashi.koji@jcom.home.ne.jp>

●大和座禅会
開催日時:ただいま不定期での開催です。
場所:   大和市コミュニティセンター中央林間会館が中心。
参加問合せ<yokoyama.740471@tea.ocn.ne.jp>

●茅ヶ崎静坐会
開催日時: 第2・第4土曜日 15時00分~17時00分
場所:   茅ヶ崎市小出コミュニティセンター
参加問合せ<K.Yamazawa@jcom.home.ne.jp>

すっかり秋めいてまいりました。
どうぞお身体ご自愛くださいませ。

みなさまと座禅をご一緒できますのを楽しみにしております。
合掌 八王子座禅会 古江 翼 
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10月24日の満月の夜の静座会は12名のご参加でした。28日が唐辛子地蔵祭りの行事とのことで、禅堂は会場設営がされていましたので、普門殿内の舞台の上で坐禅を致しました。
今回お見えの新しい方では、禅東院の近所の町内にお住いの保険営業の男性Ⅰさんがご参加で、「弱い自分の根本をもう一度見直したい」、「ブレない自分をつくりたい」とのことで、坐禅にいらしたそうです。年齢は41歳の私(大愚)と同級生で、若い時代の経験が似ていたこともあり、とても親近感を感じました。
静座会後には、山口県のお土産「山焼き団子」を頂き、温かいお茶を飲みながら満月の夜の歓談を楽しみました。
和やかなお話のなかで、皆さまからのご質問で、座禅の姿勢の工夫の仕方や、過去の忘れたい経験を手放す方法についてなどがでて、それぞれの方のお悩みや関心事に寄り添うことの大切さも、改めて学びになりました。

翌朝は坐禅の後、大石住職と曳きたて珈琲を頂いているときに、「傾聴」の大切さのお話もありました。ちょうど良い機会と思い、静座会に集まって見える方々からの「ご質問」を受ける時間を、静座会の前にでも設けたいと思いました。

松田大愚 拝
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・馬祖道一(唐、707~786):唐王朝を揺るがす「安史の乱」(755~763)があって、禅宗も各地に分派が興隆したが、中唐の時代以降最終的に禅門の主流を占めるのが馬祖道一の一門であった。六祖慧能―南嶽懐譲―馬祖道一の系譜を掲げつつ「即心是仏」「平常心是道」と説いた。
馬祖とその師である南嶽懐譲との出会いは以下のようであった。懐譲が般若寺と言う寺に行ったところ、馬祖が毎日坐禅をしていた。懐譲が問う。「あなたは毎日坐禅しているそうだが、坐禅してどうする気だ」「はい、仏になろうと思います」すると懐譲はどこからか瓦を拾って来て、石の上でごしごし磨ぎ始めた。気になるので馬祖が問うた「師よ、それを磨いてどうなさるつもりですか」「うん、これを磨いて鏡にしようと思っている」「瓦を磨いたって鏡なんかになりませんよ」「そうか、瓦を磨いたって鏡にならんか。それじゃ、坐禅して仏になれるのかな」南嶽の言うところは、坐禅と禅を履き違えるなということである。坐禅、坐ることは確かに大切であるが、坐ることは手段であって、禅そのものではない。ただ坐っているだけではどうにもならぬ。そこで馬祖は南嶽に問うた「では、どうしたらよいのですか」これに対する南嶽の返答は「人が車に乗って行く時、車が進まなかったら、車を打つのが良いか、牛を打つのが良いか」
・臨済宗、曹洞宗へ:六祖慧能から、南嶽懐譲、馬祖道一、さらに百丈懐海と続き、臨済義玄が臨済宗宗祖となる。一方、馬祖らの一派から別れて、慧能―青原行思―石頭希遷という系譜を掲げ洞山良价が曹洞宗を起こす。
・百丈懐海(唐、749~814):ある僧が百丈に問うた「ありがたいこととはどういうことですか」百丈は答えた「独坐大雄峰」大雄峰とは百丈山のこと。わしがただ独りこの大雄峰に坐っている。この事実ほどありがたいものはないと百丈は言う。まことに百丈の面目躍如としている。「おれがここにいる」どんなときでもそう言えたら、人生はどんなにすばらしいか。「百丈野狐」
・南泉→趙州従諗(じゅうしん)(778~897):若くして南泉の弟子になった趙州、ある日趙州は南泉に訪ねた。「道とはどういうものですか」「平常心が道だ」「そう仕向けるべきものですか」「仕向けようとすると違ったものになる」「それでも、考えなきゃそれが道であるということも分からないでしょう」「道は知にも属さず、不知にも属さない。知は妄想だし、不知はぼんやりしている。もし本当に疑いのない道に達したら太虚ががらんとしてあけっぴろげであるようなものだ。もうなんにもいうことはない」これだと趙州は悟った。平常心、無心、いずれも意識がどこにも引っかからずに生きて行けることである。素直にすっすっと体が動いて行くことである。当たり前のことを当たり前にやる、という事。例えば道は歩いて行くものである。歩いて行く道を離れて、抽象的な道を考えるということを趙州はしない。道を本当にちゃんと歩いている者なら、「道とはどんなものですか」というような事は問わない。道は自分で歩くより他はない。歩いて、歩いて歩き抜いて、無心に歩けるようになったとき、もはや道について問うことはない。
・唐から宋の時代になると、禅が文人官僚に広く浸透し、禅の制度化、社会的に組み込まれた。禅院が官寺として国家の統制下に置かれた。「五山十刹」の制度も成立した。また宋代禅は「公案」の時代と言われる。先人の問答の記録を禅門共有の古典“公案”として選定し、それを参究することが修行の中心となっていった。碧巌録がその代表。
・鎌倉時代、多くの僧が禅の教えを求めて中国・南宋に渡り、日本へと禅を伝えた。その代表的な人物が臨済宗黄龍派の禅を伝えた栄西であり、曹洞宗では道元である。
・明庵栄西:1202臨済宗の印可を受けて帰朝し、建仁寺(京都)を建立する。「興禅護国論」を著すなど興禅を意識し日本臨済宗史の起点となる。
・応燈関の法系:大応国師(南浦紹明)―大燈国師(宗峰妙超)―関山慧玄の3代を祖とする。中世以来の禅の一派。大応国師は鎌倉中期に宗に入り、宋朝臨済宗の一派、虚堂智愚の法を受け、太宰府の崇福寺にて30年、晩年、京の万寿寺、鎌倉の建長寺に移って多くの弟子を集める。その一人が大燈国師。
・1246年、蘭渓道隆が渡来し、北条時頼の開基で鎌倉に建長寺を開創、執権・北条時宗の招請で無学祖元が渡来して、1282年に円覚寺を開創した。さらに1292年南禅寺が創建された。
・鎌倉幕府が滅び、建武の中興を樹立した後醍醐天皇の支援を受けて、大燈国師は大徳寺を創建(1326)、天皇は大徳寺を本朝無双の禅苑とした。
・宗峰妙超(大燈国師):永年患っていた足を死ぬときぐらい言うことを聞け、と言って自分の手で足を折り曲げ結跏趺坐された。そのとき血が出て法衣が真っ赤に染まり、そのまま坐亡された。
 ・花園天皇も禅に深く傾倒し、大燈国師に参禅された。花園の離宮を禅寺とすることを発願し、大燈国師の法嗣、関山慧玄を開山として妙心寺を開創する。
 ・夢想疎石(夢想国師):南北朝時代に南朝の後醍醐天皇と、その敵であった足利尊氏の両方から尊敬されていた。七人の天皇から国師号を贈られていたので「七朝の国師」と言われた。木造や絵を見てもいずれも俗に“夢想肩”と言ってなで肩の非常に優しい高貴な感じの肖像である。ところがやさしいどころか大変きついところがあった方で、夢想国師の書かれた「二十三問答」の一節ある“ただ父母の縁によりて見え、かりにし縁つくれば、もとの如くなるまで也。・・・・・・実には生まれも死にもせず、生きるとても来るものもなく、死するとても去る者なし」
 人間が生きているということは、これは只父母の縁によって人間としてここにあるだけのことだ、実を言えば生まれることも死ぬこともない。その生まれることも死ぬこともないところをつかまえる。というのである。夢想国師の老婆親切である。
 ・室町幕府を開いた足利尊氏、更に三代将軍の足利義満の時代には禅寺(主に臨済宗系)が時の政権と結びつき、京都を中心として、その近辺に多く建立された。天龍寺、相国寺などが創建された。

参考資料;平凡社・日本のこころ239「禅宗入門」(2016)、NHKブックス35「禅―現代に生きるもの」紀野一義(1997)、講談社学術文庫「禅と日本文化」柳田聖山(1997)、『禅』誌2002~2016(多数)
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朝の随想   松田大愚

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/10/26 16:14
朝のひんやりとした静謐な空気のなかで、
鐘を鳴らし、二柱香の打座に打ち込む。
10月半ばの禅東院の境内はもう肌寒いくらいで、
身がピリッと引き締まる。

社会人として仕事をするなかで、
毎日の慌ただしい娑婆の事と格闘しながら、
日々の決断と行動の連続のなかで、

私も一人の人間として、
ときに、理不尽な怒りを感じるような場面や、
窮して落ち込む難しい状況など、
色んなことが、日々起こる。

家庭生活や、人間関係においても、
もちろんそうだ。

でも、この道場での
まっさらな朝の時間だけは、

「三昧」に浸りこむ坐禅の実践によって、
浮かんでくる雑念を空じて、

さらに、心中の一切を空じて、
ただ、天地の呼吸だけになる。

あれやこれやと湧き上がる雑念を、
さらには、燃えるような「数息」によって、

「私」の意識が生まれる根源へと尽くしながら、
己のなかの小さな自我を、
いったん焼き尽くし、捨て切っていく。

この、熱塊のような「三昧」の時間によって、
心の明鏡にこびりついた、
頑なな「我」の垢や錆がミジミジと蒸発し、
本来の、心の智慧が顕れてくる。

身も心も、また息を吹き返す。

道場に身を運び、
実際に坐を組むことの尊さを、
身体が、心が、想いだす。

【転迷開悟。(てんめいかいご)】
迷いを転じて、悟りを開く、と古人は言う。

日々の悩みや葛藤を糧として、
それを悟り(智慧)の豊かさに転じることで、
私たちの人間形成は一つずつ進んでいく。

また、【泥多ければ、仏大なり。】
との言葉もある。

悩みや葛藤が大きければ大きいほどに、
そこから受け取る悟り(智慧)の恵みは、
甚大であるとの意である。

娑婆世間の迷いのただなかに身を置いて、
切った張ったと毎日を生きながらも、

その都度に、「三昧」によって迷いを転じ、
自らの内に悟り(智慧)を見出していく。

社会人として、禅者として、
一番の基本は、

道場で身を正し、真剣に坐ること。

その日々の鍛錬を、
何度も、何度も、繰り返す。

やがては、その
娑婆と道場とがひとつの地続きになり、
ひいては、特段、迷いもなく、また悟りもなく、
今ここの、一歩ずつがそのまま、
自由の天地になる日まで。


松田大愚 九拝
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昨日は久しぶりに水曜静座会に参加し、11名の方(うち新到2名)が一緒に坐禅をされました。
新しく見えたのは、近所の若手の女性の方と、シニア世代の男性で立川にお住まいの方でした。
また若手の龍巖さんが初心の方に禅のレクチャーもしておられ、とても頼もしく思いました。
終了後は若手(龍巖さんTくん両名)とつけ麺屋で夕食を食べ、熱く歓談しました。
自分の生き方に真摯に向き合おうとする若者と、人生について真剣に語り合う時間は、
かつての多摩五葉塾を想いだし、このようなつながりが八王子でしっかり育っていけばと、私自身が有難く思います。
夜はWさんと一緒に宿泊し、朝は2炷香坐って解散しました。
朝の座禅はやっぱり良いものだと、改めて思いました。
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八王子座禅会の古江です。
相変わらずの寒暖差ではありますが、
座禅会が始まる夕方頃はいつでも涼しく、座禅にぴったりの季節となって参りました。
毎週の座禅会に参加すると、
禅東院さんのお庭の木々が色づいていく様子も見ることができます。

さて今回は、来週の土日に行う一泊集中打座会、夕食夜話会のご案内です。

【10月20,21日の行事ご案内】

○夜話会のご案内です。
20日(土曜日)の19時ごろから、夕食懇親会、「夜話会」を行います。
いつもは修行仲間として一緒に座っている皆さま方と
お酒とお料理を頂きながらお互いに自由に交流し合う夕食会です。
最近新しく来始めたという方も、ベテランの方も、どうぞお気軽にご参加ください。
素敵な出会いや素敵なお話が聞けまして、ぼくもいつも楽しみにさせて頂いております。
前回同樣、中央大学の座禅サークル五葉会の学生さんたちも参加予定です。
「座禅」という、あまり一般的とは言えない道を求めて集った方々は、
ユニークで様々なバックグラウンドをもった方ばかりで、
とてもおもしろいです。
前から話したかった人をつかまえて話すのもよし、
ひとりでしずかに庭をみながらお酒を飲むのもよしの、
自由な会ですので、ぜひご気軽にご参加くださいませ。
早朝の座禅付きで宿泊もできますので、お車の方もぜひ。

○一泊集中打座会のご案内です。
夜話会に合わせまして、一泊集中打座会も開催致します。
「打座会」と名前を変えさせていただきましたが、
「ひたすら座禅に打ち込む」といった印象が強くなりそうだとぼくが思っただけで、以前からの一泊集中座禅会と内容は同じです。

一泊集中打座会は、参禅や作務などはせずにとにかく長く座り込むという会です。
できれば毎日、細く長く座ることも大切ですが、
その一方で集中的に座禅に徹してみることも、とても良い修行になります。
思いがけず、自分の壁を破って自由快活な心持ちになれるかもしれません。
またいつもより長く、集中して座りますと、次第に深く深く心が澄んで落ち着いて行きます。
座禅の効果は一日経つとだいぶ薄れてしまうと言われていますから、集中的に座ってみることで、もう一段、座禅を深めることができるチャンスです!
毎週の2セットの座禅に慣れてきたという方、ぜひこの機会にチャレンジしてみてください。
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土曜日の14時30分から、45分×4回ほど座禅をします。
日曜日は朝6時半から9時前まで座禅をし、
お時間のある方はその後クリエイトホールでの座禅会に向かい12時半ごろまで更に座りこみましょう!

途中参加、途中休憩など、自由ですのでご自分のペースで少しでも長く座禅をしていただけらと思います。
?
また今回は、土曜日の18時ごろから、
仏道修行を行じる上での4つの誓いである「四弘誓願」について、
老師の書かれた資料を読みながら感想をすこし話し合う輪読会を、
45分ほど行いたいと思います。
みなさま方の座禅の修行が、また新鮮なものになるきっかけとなれば嬉しく思います。

【参加費】
座禅会のみ:一日300円
夜話会と座禅会:合計2000円(学生&主婦(夫)は1000円)
懇親会、座禅会、一泊:合計2000円(学生&主婦(夫)は1000円)
懇親会なしで宿泊のみ:1000円
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となります。
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【スケジュール】
●20日 土曜日
14:30 座禅開始(45分おきに休憩)
18:00 「四弘誓願とその展開」輪読
18:45ごろ みんなで夜話会準備(キムチ鍋とおつまみ予定)
        準備でき次第、開始
21:30 ごろ    片付け・銭湯・随時就寝
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●21日 日曜日
 06:00 起床
 06:30 座禅開始(45分おきに休憩)
 08:30 朝食(当日のメンバーでどうするか相談。食費は各自)
 09:00 解散、希望者はクリエイトホールでの座禅会へ。(12:30ごろまで)
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【今後の摂心会修行・一泊参禅会の日程】

12月5日(水)から9日(日)まで。
1月30日(水)から2月3日(日)まで。

老師のいらっしゃる一泊参禅会は11月17,18日にございます。

寒暖差の激しさはしばらく続きそうです。
どうぞお身体ご自愛くださいませ。

みなさまと座禅をご一緒できますのを楽しみにしております。
合掌 八王子座禅会 古江 翼 
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⑤後期型現代の背景として「未来は不確実で世界は限りなく残酷である」未来観の広がり。
・震災や原発事故、格差や不平等、資源や環境問題、など改善の希望が持てない社会。
・次々新しい出来事が起き、すでにあった問題は解決されずに忘れ去られ、社会的弱者は切り捨てられていく。小学校から競争社会、塾通い、格差。爆進する大量消費・娯楽社会。
・人工知能の発達やネット社会の広がり、新しい働き方、モデルがない、先の見通せない社会。
・「未来は不確実で世界は限りなく残酷である」という未来観を前に、「いま」を重視して生きていく傾向になりやすい現代の若者たち。「それならばとりあえず、いまは自分の好きなことをやろう」という考え方。(「自分が社会を変えていこう」という方向の意識は薄いと思う)
・「『いま』できることが、もうこれから先にはできなくなってしまうかもしれない」「未来はどんどん悪くなっていくのではないか」という感覚。
・未来に希望があり、前世代の生き方の見本に幸せを読み取れるならそれに向かって、「いまはつらくともがんばろう」と思えるが、自分の「いま」を犠牲に、我慢してまで将来に向かって頑張るだけの安定性、希望のある未来が感じられない。
・「未来や将来から目を背ける・逃げる」という感覚ではなく、そもそも未来を「どう生きるか」の判断材料としてあまり重視しないという感覚?前世代とは生き方の出発点から違うのではないか。
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【参加者】
会員:4名 如法、大愚、善宝、龍巌
一般: 9名

今回は、久しぶりの夜話会(夕食懇親会)と、宿泊可能の一泊集中座禅会を行いました。
1日目は14時半から45分×約4セット座り、夜話会に参加する方は18時からみんなですき焼き鍋の準備をしました。
久しぶりの夜話会は、中央大学の五葉会という座禅サークルから3名の大学生が参加してくれたこともあって、幅広い年齢層で鍋を囲んで話しました。
笑い話から人生に対する真剣な話まで、いろいろな話をして盛り上がりました。
「座禅をする人は少し変わったところがある」とはよく言われますが、そのおかげか他では聞けない話を聞けたり、大真面目な話もできたり、いつも楽しい会になります。
懇親会後は各自銭湯に行ったり、座禅をしたりと自由に過ごし、二日目は6時半から座禅をしました。
多い人は2日間で10セット分は座禅をできた人もいます。
まさに集中座禅会となりました。
他のお寺の座禅合宿や、本道場の摂心会修行とは異なり、ゆるめのスケジュールで自分のペース、やり方で座禅に集中できる会になったのではないかと思います。
月に一回程度の開催を予定しておりますので、みなさまどうぞご参加ください。
(なお毎週の定例座禅会とは異なる行事のご案内は、当道場のメールマガジンを中心に配信しております。もしメールマガジンへの登録をご希望される場合は道場の者にお申し付け下さい。)
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Ⅲ なぜ「心の根源」を求めるのか

●人の心は誰でも、生まれたときは平等で混じりけがなく純心そのものです。ところが、成長するにつれて、それぞれの置かれた環境や状況に強く影響を受け、知らず知らずに自己体験が心に蓄積され、形づくられていきます。そして、我見が生じ、予期しないあらぬ方向に向かってしまうこともあります。又、それぞれに迷い、悩み苦しめられることも、しばしば経験することです。

●禅の修行の目的は、座禅工夫を通じて、その湧いてくる感情の根底を尽くし、「心の根源」を明らかにする。長い間の業障のために忘れかけていた、生まれたときの純粋な心を取り戻す。そして、その後の修行によって、その心を鍛え磨き、自分の思うように自由自在に使いこなし、いかなる予期しない境遇に遭遇しても、揺るぎのない自己を形成し、納得した人生を送ることにあります。
≪関山国師≫ (妙心寺開祖)
国師の遺偈 『汝(なんじ)等(ら) 請う、 其の「本(もと)」(心の根源)を務(つと)めよ。(省略)葉を摘(つ)み、枝を尋(たず)ぬること莫(なか)れ。』
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「静坐による瞑想は仏教における基本的な修行法であり、坐禅の実践は禅宗に限られたものではない。」
「禅宗で最も重要なのは、釈尊の悟った真理を寸分違わず師匠から受け継ぎ、弟子に伝えて行くことである。但し悟道体験によって得られる真理は“不立文字”であって論理的な思考や言葉によって得られるものではない。釈尊は悟道してから涅槃に入るまでの49年間、数多くの教典を説いたとされるが、禅宗では“49年、一字不説”を主張しており論理を超えた“教外別伝”との立場をとり、真理の授受は悟道による“以心伝心”によってのみ可能としており、悟道した師匠の心にしか存在しないのである。ここに禅宗独自の伝灯の系譜が出来上がる必然性があった。」

・『禅』はインドでは28人に相承され、28代・菩提達磨が中国に禅を伝え、法を嗣いだ慧可から六祖慧能を経て、唐末から宗代にかけて展開する。その後、元代~明代初期(鎌倉~室町時代)、さらに明代末期~清代初期(江戸時代初期)に禅門が中国で最も隆盛を誇った時代であった。一方日本には、天智天皇の時代に、道昭が三蔵法師に学んで帰国し、奈良に日本最初の禅堂を建立する。その後平安末期から鎌倉時代に、栄西、道元等が中国に渡って学び臨済宗、曹洞宗として日本に伝える。また江戸時代には、中国、当時の明より隠元が来朝し、黄蘗宗を伝えるなどして日本で独自の発展をする。一方中国では清朝に入って禅宗は一時栄えたが、5代乾隆帝の時代に粛清を受け中国禅宗は去勢された。

・釈尊(紀元前500年頃):釈迦族の王子であった釈尊(ゴーダマシッダールダ)が菩提樹の下に坐して12月8日に明けの明星を見て悟道。
・摩訶迦葉(第1祖):禅宗における最初の師こそが釈尊であり、釈尊が弟子に対して行った伝法が「拈華微笑」と言う公案(無門関6)。ある日釈尊は弟子たちの前で華を手で持って差し出すが、仏弟子たちが訝る中、なぜか、これを見た摩訶迦葉(マカカショウ)だけが一人にっこりと微笑み、この瞬間釈尊の心から摩訶迦葉の心に正法が直に伝えられ、釈尊に印可されたと言う。これは心から心に直接伝えられると言うことから「不立文字」「以心伝心」などと形容された。ここから禅の伝灯が始まった。
・西天四七、東土二三:釈尊以後の禅宗の系譜はインドで28代、中国で6代続いたされる。
・菩提達磨:中国に禅を伝えた菩提達磨がインドにおける第28祖であり、中国での第1祖となる。520年頃、南インドの達磨は師の命を受け、中国に渡り中国の僧、慧可に法を伝える。
達磨は中国に来て最初に梁の武帝と対面した。その際の問答が「廓然無聖」さらに「不識」「無功徳」が知られる。武帝との対面が物別れに終わった達磨は長江を渡って北上し少林寺に入る。その際一葉の蘆に乗って長江を渡ったと伝説がある。少林寺に入った達磨は一言も口をきかず
黙ったまま九年間、壁に向かって坐禅し続けた。人は達磨を「壁間の婆羅門」と呼んだ<面壁九年>
・面壁坐禅:現在、日本では曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の3派の禅宗があり、曹洞宗は面壁坐禅であり、臨済、黄蘗宗は壁に向かない坐禅で対面坐禅と呼ばれている。釈迦は菩提樹の下で坐禅して悟りを開いたとされるが、勿論菩提樹の前には壁はなかった。それでは何故壁に向かうようになったのか。達磨の「壁観」を「面壁」と称すようになり、禅僧の坐禅を指すものとして用いられるようになったらしい。曹洞宗の道元は中国に留学中は面壁坐禅をし、現在の曹洞宗はそれを受け継ぐ。当時は臨済宗の僧も面壁坐禅をしていたようであったが、黄蘗宗は面壁をしておらず、江戸時代になって臨済宗も黄檗宗の影響を受け対面坐禅へと変わった。
・二祖・慧可:中国の僧、慧可が少林寺に達磨を尋ねて道を問うた。しかし達磨は黙ったまま取り合わなかった。そこで慧可は自らの左腕を刀で断ち切って求道の志を示した。慧可が自分の心が不安でたまらないので安らかにしてくれと訴えたところ、では、その安らかでない心をここに出してみよと求めた。慧可が不安な心はどこにも見つからなかったと答えると、達磨は言った、「ほれ、これで汝の心を安らかにし終わったぞ」この言葉で悟った慧可は達磨の法をついで東土の第二祖となった。
達磨から慧可に伝えられた法は、その後三祖僧璨、四祖道信、五祖弘忍、六祖慧能へと伝法が重ねられていった。
・六祖・慧能(唐、638~713):五祖は慧能に袈裟と鉢を授けて禅宗六祖とした。それから慧能を南方に逃し雌伏6年(676年)<六祖をめぐり、慧能と神秀の間で対立があった>、姿を現した慧能は院宗法師の涅槃経の講義を聞いた。夜になって一陣の風が吹き起こり、幡がはためいた。すると一人の僧が「幡が動いた」と言い、べつの僧が「いや、風が動いた」と言った。それを聞いた慧能が一言言った。「風が動いたのではない、幡が動いたのでもない。心が動いたのだ」これが有名な“風幡心動”の公案。
・六祖慧能の頃、645年には玄奘三蔵がインドより唐の長安に戻る。662年、道昭、唐で三蔵に学んで帰国し奈良に禅堂を建立する。日本の禅の初伝。(飛鳥時代)

参考資料;平凡社・日本のこころ239「禅宗入門」(2016)、NHKブックス35「禅―現代に生きるもの」紀野一義(1997)、講談社学術文庫「禅と日本文化」柳田聖山(1997)、『禅』誌2002~2016(多数)
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