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クリエイト静座会の開催報告をいたします。

      記

日時:平成29年12月3日(日)午前9時30分~11時00分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 7名  会員 栗原

概況:
・今回は摂心中でしたが、参加者のニーズを考えて開催しましたところ7名の参加がありました。いずれもリピーターの方々でした。月2回の開催も少しずつ浸透してきた感があり、何とか継続したいと考えております。

合掌  道活 拝
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まあ、長くつらつらと述べてきたんだけど、それから数年は仕事で色々試してみたよ。人と組んだり、意外なものをやったりとどんどん人脈が広がった。
今もそうだけど、かなり忙しいけど社会が見えてきたんだよね。そうしているうち自分が蜘蛛の巣にかかったように身動きできないことに対して
窮屈さを感じはじめたんだ。息子はまだ学校で数百万かかるよ、女房も実は病気で何十万も毎月かかる。
なんか人生に相当疲れてる。息抜きしようにもガチガチになってきちゃう。
俺、大学の時あんなに自由な世間知らずのバンドマンがこんなことになってる。
実は最初の会社を辞めた時、以前からアメリカ行きたかったんだよねって、1ヵ月かけてアメリカ東部を駆け回ってきた。
それは楽しくて、楽しくて、アメリカ人と友達になって、ブルースの聖地を回ってきたんだよね。
そんな思いでもある。もう一度自分、子供のころから「そうだグランドキャニオン」の景色見たかったんだよな。
とんでもなくデカイ、霞むような地球のひろさ感じたかったんだよな。
夢が膨らんできた。自分の最後のワガママ、これやってから死のうっておもったんだよね。
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 先月、大学の学園祭に出向いた時のこと。現五葉会をまとめる後輩の一人から聞いた言葉である。後輩の彼は言葉に詰まったらしい。禅と茶道の五葉会。コアは禅である。汝、何故「坐禅」をするか?
 坐禅が当然のように生活の一部となっている身としては、ちょっと考えさせられる疑問ではある。しかし、世間の人にとっての坐禅のイメージは「足が痛くなるだけ」・「警策でブッ叩かれる」・「禁欲的」…。どちらかと言うと、大いに負のイメージが強い。だからこそ、「我こそ先に!」と坐禅をする私達の存在は不思議そのものなのかもしれない。
現時点の私なりの回答をすると、「自分を見つめ直せる故、我は坐禅をする」。この一言に尽きる。延いては「一日一日の一つ一つが大事になり、味わえるようになる」。没頭していると、自分が「今」「どんな状況」なのか自分でも分からなくなる。摂心に立ち返るとよく分かる。漫然と日々を過ごしている状態で摂心に参加すると、実によく引き締められる。いわば、スーパー〇イタ人になれた心地がする。摂心が過ぎた数週間はきびきび・朝早起きである。しかし、数週間後はだんだん漫然化してくる。残念なことに少しずつ漫然化していることに自身は気付かないのである。そして再びの摂心で気付かされ、また引き締められる。…この繰り返しだ。だからこそ、あれがしたい・これがしたいの欲ばかりが消えない。それができないと、ストレスの一つとして毒が溜まっていく。あれがしたい・これがしたいに囚われて、結局本質を見誤ってしまう。全くどうしようもない。 坐禅はそうした状態になるのを寸前で止めてくれる。私なぞはまだまだ若輩者なので、止めきれていないような気がするが。
「知足」という言葉がある。つまり、「足るを知る」ということ。自分がもともと恵まれた環境にいて、「あれがしたい・これがしたい」をそれほどする必要がないことを再認識する。一朝一夕で身に着くことではないから、長い人生の目標ではある。
 しかしまぁ、禅をする方々は人格が丸みを帯びて、可愛いくなる。これが禅の不思議なところ。私の知る、禅者のおじぃ・おばぁの方々は大抵可愛い。たまに顔も真ん丸になっている。予備候補軍(今はおじぃ・おばぁに該当しない方々)も同じ道を辿ることが予想される!これは、荒い流れを越えに越え、尖った石が丸みを帯びるようなものなのかもしれない。
平成二十九年師走
 翠珠記ス
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【参加者】:11名
  《会員》3名:如法 大愚 龍巌
《一般》8名
《新到者》0名

【内容】
今回は静坐会を18時から19時半まで行ったあと、お食事とお酒を頂きながら懇親を深める夜話会を行いました。
坐禅のあとは五感がすーっと身体に入っていくようで、お食事も普段よりおいしく頂けます。
学生も僕を含めて三人参加しまして、世代をまたいで交流ができとても盛り上がりました。坐禅の話の他にも文学や哲学、漫画や仕事や、進路相談の話など、どれも変わった話ばかりで面白かったです。一緒に何かしらを求めて坐禅をしているということで、真剣な話もできるとても良い雰囲気があります。 坐禅にいらっしゃる方は何かを探求することがお好きなのかもしれません。いつも他ではなかなか得られない刺激を頂けます。
おでんやおつまみのあとはご住職の手打ちうどんを頂きました。皆さま想像以上に食事が豪華であったようで、驚いていました。
毎月一回程度、坐禅のあとに夜話会を企画しています。坐禅会にいらしたときにメールアドレスを教えて頂ければ、毎週の静坐会とは別の企画のご案内を送らせていただきますので、お申し付け下さい。

合掌 古江龍巌
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クリエイト静座会の開催報告をいたします。

      記

日時:平成29年11月19日(日)午前9時30分~11時00分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 4名  会員 臼杵、栗原

概況:
・今回は一般参加者4名、常連の方々でした。新到者はゼロでした。
・輪読は芳賀老師の禅入門を読む予定でしたが参加者ゼロでしたので、資料だけ配布しました。

合掌  道活 拝
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【参加者】:17名
  《一般》11名
《会員》如法 大愚 石仏 紫光 善宝 龍巌
《新到者》0名:

【内容】
今回は非常に多くの方にご参加頂きました。ありがとうございました。
 大人数で坐禅をしていますと、自分も頑張らなくちゃと思える気が致します。
 7人の方は15時から19時ごろまで、4炷香坐られていました。
 初めてこんなに長く坐ったと言われていた方もいましたが、「無理かと思っていたけど意外と坐れたので良かった」とおっしゃっていました。
 19時までの静坐会の後は、時間のある方7人でお寿司弁当とビールを頂きながら歓談しました。一人ひとり禅に興味を持ったきっかけやこれまでの人生等の少し踏み込んだ話ができました。
 みなさま変わった経歴をお持ちの方々で、すこしでも自分に納得がいくような生活を求めて工夫されてきたんだなあと感じました。
「欽ちゃんがあの歳で大学に入学したように、本当は色々なことができるはずなのになかなか一歩を踏み出そうとしないで、他人のせいにしてしまう」という話もありまして、自分も反省できました。
 その後は1炷香坐ってから銭湯でのんびりしました。長めに坐ってすこし固くなった身体でお風呂に入るのは最高です。
 5人でお寺に一泊しまして、5時45分起床、6時から2炷香坐りました。その後近くのカフェで朝食を食べた後、もう少し坐っていきたいとの要望がありましたので、解散時間を延長させて頂いて、2炷香坐りました。
 最後の1炷香は秋晴れの陽気でしたので外で坐りました。坐禅を終えて目に入ってくる庭園を見ると、天国にいるような気分で、幸せでした。
 また12月にも一泊静坐会を計画しておりますので、どうぞお気軽にご参加ください。部分参加も歓迎しております。

  合掌 古江龍巌 
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約5年間の辛い修行の後、その間師匠も亡くなり、次の師匠になって、最後にはその関門は許されたんですが、まあ爽快な気分でしたよ当時は。
雲ひとつない空に龍が舞うって感じですね。実は雲は沢山残っているんですが、死ぬまでね。
そしたら仕事においても自己実現を考えたんです。待ちに待って独立したから実力もあったし、35歳くらいで体力もある、仕事もバンバン入るで
最初の仕事で60万、当時月に30万しか無くて大変な家族生活がたった1つの仕事で60万もいただけたんですよ。
そりゃー、もっとがんばりたいと思いますよ。
ただこれが日本のブラックな社会を見るきつい道とも知らずに。実際辛かった、毎日10人くらいの営業さんから10分おきに電話がくる。じゃ30分くらいで 終わらせますって調子いいこと言ってる自分、ただこれが出来た、30代の脂ののっている時、とんでもなく多くの仕事量が睡眠をどんどん奪っていく。
ただし納期は絶対だ。このころは坐禅のパワーもあって神がかっていた。
これも必ず通らなければならなかった道なんだよね。社会ってルールに全力で立ち向かった。スケジュールを見てありえない量の仕事量、普通に考えると
絶対に終わらない、目の前のことを1つ1つやるしかないんだよ、霞んで見えない山が近づくと見えてくるように仕事も終わっていくもんだ。
しかしながらこれはやっても3年間、これは命をけづりとる。まあギリギリになってから人の命って輝くもんだ。ギリギリが強い。それもわかる。
これを5年もやったから、心、頭はズタボロになった。最後は首に腫瘍ができてこりゃヤバイと思ったよ。手術したもの、簡単にとれるんだな。
でも、そこまでいくともうヤバイ。頭の回路はもうおかしくなっている。このころよく、霊感を感じたよ。お化けが見える気がするんだよね。
微細な気配に対して敏感になるんだな、危ないものまで引き寄せちゃうんだよ。
そうなる前に辞めておけば良かった、家族に対してあまり気を配れなかったな、大切なことを無くしていたんだねこの頃は。
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クリエイト静座会の開催報告をいたします。

      記

日時:平成29年11月5日(日)午前9時30分~11時30分

場所:八王子クリエイトホール9階和室

内容:静座3炷香(25分×3)

参加者:一般の方 10名  会員 臼杵、古江、栗原

概況:
・今回は3名の新到者がありました。女性1名と息子さん、男性1名でいずれも八王子在住の方でした。古江(龍巌)さんから禅東院での水曜・土曜の静座会にお誘いをしましたところ、興味を示していました。
・次回は11月19日で輪読も行いたいと思います。資料は芳賀老師の「禅入門」の数息観の部分です。会員の方、参加され解説をして頂ければ幸いです。

合掌  道活 拝
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旧暦はスゴイ   鈴木翠珠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2017/11/3 10:39
 本との出会いは、新たな見方との出会いでもある。そしてしばしば目を開かされる。今回は「旧暦」というモノの見方。本は『旧暦で日本を楽しむ』、千葉 望、講談社、2014年。
 太陽暦である新暦が明治6年(1873)から採用されて以来、私達は季節の行事をも当然のように受け入れている。その行事には古くからあるもの、西洋由来のもの…と入り乱れているが。例えば、本日はハロウィーン也。きっと、渋谷の街は仮装した若者達で乱痴気騒ぎになっているだろう。
 西洋由来のものはまだしも、日本由来のものは季節の行事と季節そのものがそもそもリンクしきれていない。例えば、9月9日の長陽の節句。菊花開く季節は今年で言うと新暦10月13日である。旧暦にあたる9月9日が新暦の10月28日であるから、ずれ具合が分かろうというもの。新暦の9月9日で「さぁ、菊の花を浮かべて長寿を祈ろう!」という時に肝心の菊が生えている季節ではないワケであるから。温室栽培だの何だのが出回る便利な世の中であるため、イチイチそうしたことを感じにくいシステムになっているのが原因だろう。生まれてこの方、新暦の生活が呼吸するようにデンと横たわっていたため、そうした不具合に不具合と感じていなかった。またその歪さにも。しかし、一度認識してしまうと違和感を強く感じるようになった。確かに新暦は世界と並足を合わせるにはちょうど良いだろう。しかし、行事の本来の意味そのものがかなり薄れてしまっている。重陽の節句は菊薫る夜にぐいっと一杯やるから(勿論菊の花をお酒に浮かべつつ)重陽の節句なのである。
 禅と向き合いつつ、この世界のかそけき変化を感じていたい今日この頃。
二〇一七年神無月
翠珠記ス
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水曜静座会の報告です。
10月25日は水曜静座会&夜話会と称して、坐禅後に、食事懇談会を開催しました。
如法住職のご用意くださった秋野菜のバーベキュー(七輪焼き)と、おでんを肴に、
Kさんらが持参くださったビールや、住職所蔵の日本酒を飲みながら、秋の夜を楽しみました。
数年ぶりに参加された方もいらして、静座会の方々との距離もとても近くなった時間でした。^^

静座会参加  9名  一般の方 6名  会員 如法 大愚 龍巖
   懇談会参加 10名 一般の方 7名  会員  如法 大愚 龍巌
  
※次回の水曜静座会&夜話会の開催は、11月22日(水)の予定です。
 お時間のご都合可能でしたら、ぜひご参加頂ければと思います。

松田大愚 拝
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