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ブログ - 坐禅から学ぶもの(7)   大石如法

坐禅から学ぶもの(7)   大石如法

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/11/18 16:15
 坐禅中、その瞬間、瞬間、自分がいま何をしているか、ただ漠然と坐っているだけではなくて、体をコントロールしています。息を整え、体を動かさないようにしています。そこで気をつけて頂きたいのは、自分の意志をすぐ行動に移さないということです。例えば、どこかが痒いと掻きたくなります。それをまず知ること。自分が動きたいことを知ればよいのです。そこで思考が止まります。足が痺れれば動かしたくなります。そういう欲や感情が生まれることは悪いことではありませんが、その姿を知ることです。その事実を知り、そこからふくらませないのです。そうすれば心や感情というものは、どんどん移っていきます。
 みなさんは、濁った水をコップですくってきたような状態です。黙って置いておけば、澄んできます。ところが自分でああしようこうしようと思ってしまう。これは、棒を突っ込んでかき回しているようなものなのです。坐禅というのは、止まるということが、実は動いているということの証になっています。独楽と同じです。しっかりと回っていれば、はたからは止まって見えますね。坐禅も無意識にコントロールできていれば、止まっていられる。それができずに足が痛い、おでこが痒いと思っていますとぐらぐらしてくるのです。
 私たちは誰しもが健康に心がけ、体を大切にすることを考えますが、残念ながら体は否応もなく衰えていきます。生まれるということは、いずれ死ぬことです。花というものは枯れるもの。これは真義です。真義の上から答えを導き出すこと、それを智慧といいます。ですから、最初の部分が真義でなかったら、そこから得られる知識は智慧とは言えません。これはみなさんそれぞれで気がついていただきたいことです。
 車で考えますと、タイヤを変えたりエンジンを直したりしましても、それだけでは走りません。運転手がきちんと運転しなければ車は走ることができない。
これを身体に置き換えますと、運転手に当たるのが心です。人間というのは、心が動かしているのです。でもその心をコントロールするのがなかなか難しい。私たちは、ずっと立っていますと坐りたくなります。ずっと坐っていますと立ちたくなります。お腹が空けばなにか食べたくなりますが、食べ過ぎれば今度は苦しくなってしまう。苦から楽へ行ったと思って気がつけば、また苦になっていた。こうしたことの繰り返しなのです。
 でもそんな私たちの道しるべとなるのがお釈迦さまの教えであります。曹洞宗では、お釈迦さまのことを大恩教主と申し上げます。お釈迦さまは父であり、最高の先生なのです。合掌
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