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ブログ - 坐禅から学ぶもの(6)   大石如法

坐禅から学ぶもの(6)   大石如法

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/10/14 22:25
無意識のコントロール

 考えてみますと、世の中の事象というのはコマ送りのように進んでいます。瞬間、瞬間、瞬間、その連続です。なにかに集中していましても、パンッと手を叩けばそちらに意識がいってしまう。私が「こちらを見てください」と言えばこっちに意識がいきますね。そうやって心が働いています。
 ただ、思考しないでいただきたいのです。例えばパトカーの音がしても、パトカーだと思わない。そこには音がしているだけです。匂いがしてきても、「ウナギかな」とか「カレーのにおいだ」とか妄想を働かさない。私たちは実際に目の前にあるわけでもないのに、自分で妄想してしまいます。なかなか難しいとは思いますが、ただ聞く、ただ匂う。感覚をしっかりと使っていただきたいのです。わかりやすく申しますと、お茶を飲むときには、自分の心は舌先にあります。お風呂に入ったときには、肌に心があるのです。
 坐っていますと足がしびれて痛くなります。でも苦しいと思わない、痛みと苦しみは違います。最近のお葬儀で、参列のみなさんは椅子に坐られますが、お坊さんだけ座布団に正座ということがございます。お経が終わってお坊さんがちゃんと立ちますと、「やっぱり偉いね」なんて言われるわけですが、こちらは、自分の足がどこにあるのか探すような状況です。でも、分からなくなってから自分の足を探すようではダメなんです。分かるうちに探しておく。それで分からない状態にならないように無意識にコントロールするのです。
 また早朝に坐禅をすれば眠気がくるときもございます。でも眠気を押さえられないということは、心に隙がある。または興味がないということです。楽しいときは眠たくなりませんよね。それでもどうしても眠気が来ましたら、その時は警策(きょうさく)で叩かれてください。そうしましたら、自分は眠たかったんだな、ということが分かります。
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