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ブログ - 「禅の心・茶の心」より(講演録)   如々庵芳賀洞然老師

「禅の心・茶の心」より(講演録)   如々庵芳賀洞然老師

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/8/11 21:10
 今、私は「万人にみな仏性が生れながら宿っている」、これが大乗仏教の根本教理だと申しましたが、その仏性は万人において一味平等であります。金持の仏性だから大きい、貧乏人の仏性だから小さい、聡明な人の仏性だから組織が緻密であり、頭の鈍い人のそれだから組織が粗雑であるなどということはありません。端的に申せば万人の仏性は分量も等しければ、その質も同じで平等であります。人間が平等ということは、今日では常識になっていますが、皆さんは、いったい、人間はなぜ平等だ、何において平等だとお考えになっておられますか。「憲法に書いてあるから平等だ」では答えになりません。憲法なんかに規定していなくとも、人間は太古の昔から平等なのです。「万人皆仏性をそなえ、その仏性は等質、等量である、それ故にその仏性において万人は平等である」というのが、大乗仏教の見解なのであります。又、人格は何故尊厳なのかについて、大乗仏教は、すべての人間は仏性をそなえている、いわば、自らの肉体の内に神とも仏ともいうべきものを宿している、それ故に尊厳なのだと説くのであります。大乗仏教はこのように、デモクラシーの根本原則であるが長い歴史の間に、さまざまな社会的条件に影響されて、いつの間にか人間の差別を強調し、支配階級に都合のよいイデオロギーに成りさがってしまった観があります。これは、まことに遺憾なことで、本来の仏教の姿にもどすことが、今日の仏教徒の使命であります。
 なお、脱線ついでに、もう一つ脱線しておきましょう。皆さんは禅の修行というものを、どのように考えておられますか。多くの方々は禅の修行はむずかしいもの、高遠なもの、と考えておられるようですが、元来、禅の修行というものは何もむずかしいことでも、高遠なことでもありません。今申しましたように、皆さんに、この心身を離れずに仏性が生れながらに円満に宿っておるのです。その仏性を坐禅の行を通じて発見し、発見したらこれを育てあげていき、自分を立派な佛に仕立てあげる、それだけのことです。皆さんは、自分の家のどこかに100億円のお金がかくされていると聞いたら、それを見つけようと必ずや熱心にお探しになるでしょう。ところで仏性なるものは、100億円とか何兆円とか何とも値ぶみの出来ない無上の宝物です。100億円を探すことには骨身を惜しまないのに、仏性という無上の宝物を探そうとしないとしたら、それは本末転倒だと申さねばなりますまい。この点、何卒よくお考えいただきたいものであります。

芳賀幸四郎講師略歴
1908年、山形県寒河江市に生まれる。東京文理科大学(現筑波大学)卒業、同大学教授を経て1971年定年退職。大東文化大学教授。
文学博士。
耕雲庵立田英山老師の法嗣で人間禅師家。
著書 「東山文化の研究」「千利休」「禅入門」「禅語の茶掛・一行物」「五燈会元鈔講話」など多数。
1996年 帰寂

この講演は、人間禅四国支部平成1992年11月21日、JA高知ビルで行われたもの。
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