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ブログ - 禅の歴史(7)明治維新。今北洪川禅師、山岡鉄舟、そして釈宗演老師  山沢幽渓(横浜支部)

禅の歴史(7)明治維新。今北洪川禅師、山岡鉄舟、そして釈宗演老師  山沢幽渓(横浜支部)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/3/4 19:08
・明治維新(1868)の後、仏教界は神仏分離令をはじめとする政府の宗教政策で大きく転換を迫られ、廃仏毀釈で寺院、仏像の破壊や、僧侶の還俗などを見た。また明治政府は教導職の寺院住持を統括するために各宗に管長を置き、一宗一管長制とした。この一宗一管長制にて曹洞宗、臨済宗、黄蘗宗は禅宗一宗となったが、やがて分離独立し、明治9年には禅宗3派となる。その後臨済宗では南禅寺、天龍寺、妙心寺など各派に分離し、現在では臨済宗14派の成立をみる。
 この期の臨済宗には滴水宜牧、荻野独園、洪川宗温(今北洪川)洪嶽宗演(釈宗演)など明治の禅匠によって支えられ現代に至る基礎が築かれた。

  ・蒼龍窟今北洪川(1816~1892);9歳で四書五経を了じ、儒学を学び19歳にて私塾を開くが出家の思い強く、妻子を預け相国寺にて修行、出家する。岡山・曹源寺の儀山和尚に参禅、38歳にて嗣法。『禅海一瀾』を著す。円覚寺第201代住職、明治15年初代管長に就任。両忘会や円覚寺正傳庵に擇木園の居士林を創設、在家の人たちへの教育に積極的に取り組む。山岡鉄舟、高橋泥舟、中江兆民、西田幾多郎、鈴木大拙等が参禅をした。当時は出家するしか伝法本格の禅に接する事ができなかったが、在家の人が禅に参じることができるように心身を尽くされた。
 
・山岡鉄舟(1836~1888):鉄舟は本所大川端にて旗本小野家の四男として誕生、名前は鉄太郎。小野家は徳川家康以来の直参ですが、17歳にて両親に先立たれ5人の弟たちを育て苦難の道を歩む。20歳の時に槍の名人山岡静山の門に入る。これが縁で静山の弟、高橋泥舟のすすめで山岡家を継ぎ、泥舟の妹と結婚する。少年時代から剣術に精励し、浅利義明について一刀流を学び師事する事数十年に及び明治13年45歳の時に一刀流夢想剣の極意を得、さらに“剣禅一如”の無刀流を創始する。禅門についても幼少から親しみ、幕末から明治に掛けてまれにみる剣人であり、禅人であった。20際の頃、武蔵長徳寺の願翁禅師について無字の公案を授かり12年間辛苦し、一日箱根入湯の際に悟り得た。その後、荻野独園、今北洪川等の禅師につき、最後に由利滴水禅師につき「両刃鋒を交えて避くることを須いず」の一句によって大悟徹底した。鉄舟を指導した天竜寺の由利滴水禅師は、その指導ぶりの峻烈さで鳴っていたひとであり、その滴水和尚が「わしが鉄舟に接した時は一回一回が命懸けであった。ためにわしも大いに力を得た」と述懐された。
鉄舟の生活は質素をきわめていて、邸内には鼠が跳梁していたが鉄舟が坐禅を始めると一匹もいなくなった。夫人が不思議に思って鉄舟にこの由を告げると「わしの坐禅は鼠の案山子ぐらいが相場か」と大笑いした、と言う。 鉄舟はあるとき講談の名人三遊亭円朝を招いて桃太郎を一席語ってくれと頼んだ。そこで円朝は舌を振るって一席これを演じたが、鉄舟はにべもなく「おまえは舌で語るから桃太郎が死んでしまっている」と言った。以来、円朝は懊々として楽しまない。ついに自分から鉄舟のもとを訪ね、「舌をなくして語るには禅をやるしかない。禅をやるには智慧も学問もいらぬ、ただ根気がありさえすればよいと言う。私は愚鈍ながら、芸の根気があります。どうか禅をやらして下さい」と頼んだ。そこで鉄舟が「趙州無字」の公案を授ける。それから2年間円朝は辛苦して無字の公案に取り組み、これで良いところへ落ち着いたので、鉄舟のところへ駆けつけ“桃太郎”を演じた。
みごとな桃太郎であったので、鉄舟は「うん、今日の桃太郎は生きているぞ」と許したと言う。円朝は滴水老師から無舌居士の号を与えられる。

山岡鉄舟居士辞世 『腹張りて、苦しき中に 明烏』

・楞伽(リョウガ)窟釈宗演(1859~1919);
12歳で京都妙心寺にて得度し、18歳で鎌倉・円覚寺の今北洪川に参じて26歳(明治15年)で嗣法。観音菩薩の再来と洪川禅師にこの上なく大事にされた。禅道修行の傍ら慶應義塾にて福沢諭吉に師事し英語、洋学を学ぶ。山岡鉄舟の支援を得て、明治20年から3年、セイロンに学ぶ。インド、中国等アジア各国に留学、帰国後明治25年(1892年)33歳で円覚寺派管長に就任。この年、入沢石佛居士(後の宗活)が入門。1893年、シカゴにて開催された万国宗教大会に、日本仏教代表団の団長として参加。その後各国を巡り、帰国後初めてアメリカ人の参禅を聞く。1906年再渡米、通訳として鈴木大拙を伴いアメリカ人に禅指導を行った。政・財界、夏目漱石等知識人への講義・指導を通じて多くの信奉者を持ち、弟子の数3千と言われた。


参考資料;平凡社・日本のこころ239「禅宗入門」(2016)、NHKブックス35「禅―現代に生きるもの」紀野一義(1997)、講談社学術文庫「禅と日本文化」柳田聖山(1997)、『禅』誌2002~2016(多数)、擇木道場創建100周年記念小冊子
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