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ブログ - 禅の歴史(6) 臨済宗中興の祖・白隠禅師、そして良寛さん   山沢幽渓(横浜支部)

禅の歴史(6) 臨済宗中興の祖・白隠禅師、そして良寛さん   山沢幽渓(横浜支部)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2019/2/10 21:14
・近世初期の臨済宗には、公案禅を標榜し修禅専一とした宗風に弛みを見せ、禅問答も形骸化している実態があった。それを知る一つが、問答の答案を秘密裏に伝える口訣伝授の密参禅である。そうした臨済禅を直視し、禅僧に明眼の師はない、それらしく振舞う邪師や外道の師ばかりで、俗士にも劣る禅僧が世に溢れ、徹底究明の悟道を体得した禅者いないなどと、その危機的状態を直視し、悟道のための真剣な修禅による祖師禅の復興を目指した正法の復興に意欲的な禅僧が、愚堂東寔(とうしょく)等の妙心寺派の禅僧であった。近世中期に至り、さらに臨済宗復活の契機を起こしたのが、臨済宗中興の祖と仰がれる白隠慧鶴であった。白隠は見性開悟を第一義とする実践的立場において「隻手音声」の公案を開発し、公案の体系化図るなどして白隠禅を大成した。
・「駿河の国に過ぎたるものが二つあり。富士のお山に原の白隠。」
・白隠は11歳の年に、昌源経寺と言う寺で窪金の日厳上人が『摩訶止観』を講義するのを聞いた。摩訶止観の中に地獄の相を説く部分を講じたのであり、焦熱紅蓮の地獄の有様を聞いた白隠は、身の毛もよだつ恐怖感に駆られた。一日、母と入浴しているとき、女中が薪をどんどん焚き、湯はたぎり、炎が燃え上がると、幼い白隠は地獄の責め苦を思い出して号泣する。母はこの感性の烈しい少年にこう教えた「西念寺においでる天満天神に一心にお祈りすれば、地獄の苦しみから救って下さる」。この日から白隠は一心に菅公を念ずる人となる。12歳の年に祭りの芝居で日親上人が焼けただれた鍋を頭に冠らされたが、法華経信心の力で火傷を負わなかった霊験談を見て感動、数日後、焼火箸を股に押し付けひどい火傷をした。白隠は失意し、恐怖心を抱き、やはり出家せねば救われぬと考えて、父母に出家せんことを乞うたが許されなかった。これらの事は、白隠少年の感じやすい魂に消しがたい印象を刻み込んだと思われる。白隠も墨跡に天神様を描いたものや、“南無地獄大菩薩”の文字を数多く見るのは、少年時代の強烈な印象や体験がその尾を曳いているとみるべきである。
・白隠さんに関するもう一つ。白隠さんは若い修行時代には激しい禅の修行のために胸を患い、今で言うひどい神経衰弱になり明日をも知れぬ身となった。その時縁あって、京都山中に白幽仙人を知り、「内観の法」を授かり元気になったとあり、また、『独り按摩』を考案された。弟子や一般信者の健康を願って創られたと思われる。
『独り按摩』の伝 抜粋:①手の平を摺る ②指を組む ③揉み手・・・⑨鼻の左右を摺る ⑩額を左右に摺る・・・㉒指を組み、鼻の通りへ上げ膝を打つ ㉓左右のこぶしを以て臍裏背肩を打つ
以上初伝。<『禅』誌11号 独りあんま(前編)矢野豊彦>
・84歳を迎え、身体の不調を感じるようになり、暁天に高いいびきをかきながら眠っていて、にわかに「大吽(うん)一声」して、右を脇にして寂された。1768年行年84歳。

・大愚良寛(1758~1831):曹洞宗の禅僧。良寛はひとの家を訪問しても、時には台所のかまどの火を焚いたり、仏間で坐禅したりするばかりで、別に経文の解釈もせず善いことをしなさいと言ったりもせず、道義について言うわけでもでもない、それでいて、良寛がいるだけで家の中が和やかになり、帰った後も数日は家の者がニコニコしていたと言う。修行時代の良寛の同輩に仙桂和尚という人がいる。いつも畑仕事ばかりしている人で、若い良寛にはこの人の値打ちが分からなかった。しかし後年、越後に帰った良寛は、この仙桂和尚そっくりの生き方をする。修行に一途になっていると、自分の修行だけがよく見えて、反対のものはみなつまらなく見える。そういう人間を夜郎自大という。仙桂和尚のような、禅僧だか、百姓だかわけのわからぬ生き方をしている人間を修行一途の良寛が無視しようとし、軽蔑しようとしたが、そうしきれぬものが残ったのである。
良寛は世間の規範にとらわれない脱俗・超俗の人柄が伝えられています。それが我々に懐かしさを抱かせ、ぎすぎすした現代の中で一服の清涼剤となっているのだと思う。このような人柄が伝えられる一方、良寛は非常に厳しい修行をされた本格的な禅僧でもあった。18歳で出家、22歳で国仙和尚について禅の修行をした。修業中は、托鉢に行っても誰の顔をも覚えてなかったと伝えられている。動中の禅と言うのでしょうか。どんな場合も一心に心を統一していた。その後行脚してさらに故郷の越後に帰って、子供らと遊んだり、農夫と畦道で酒を飲んだりする一方で「僧侶である自分が、どうして虚しく時間を過ごすことができようか」と厳しい反省を行っている。

「無心」 花は無心にして蝶を招く 蝶は無心にして花を尋ぬ
     花開く時蝶来たり 蝶来る時花開く
     吾も亦人を知らず 人もまた吾を知らず
     知らずとも帝則に従う


参考資料;平凡社・日本のこころ239「禅宗入門」(2016)、NHKブックス35「禅―現代に生きるもの」紀野一義(1997)、講談社学術文庫「禅と日本文化」柳田聖山(1997)、『禅』誌2002~2016(多数)
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