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ブログ - 朝の随想   松田大愚

朝の随想   松田大愚

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/10/26 16:14
朝のひんやりとした静謐な空気のなかで、
鐘を鳴らし、二柱香の打座に打ち込む。
10月半ばの禅東院の境内はもう肌寒いくらいで、
身がピリッと引き締まる。

社会人として仕事をするなかで、
毎日の慌ただしい娑婆の事と格闘しながら、
日々の決断と行動の連続のなかで、

私も一人の人間として、
ときに、理不尽な怒りを感じるような場面や、
窮して落ち込む難しい状況など、
色んなことが、日々起こる。

家庭生活や、人間関係においても、
もちろんそうだ。

でも、この道場での
まっさらな朝の時間だけは、

「三昧」に浸りこむ坐禅の実践によって、
浮かんでくる雑念を空じて、

さらに、心中の一切を空じて、
ただ、天地の呼吸だけになる。

あれやこれやと湧き上がる雑念を、
さらには、燃えるような「数息」によって、

「私」の意識が生まれる根源へと尽くしながら、
己のなかの小さな自我を、
いったん焼き尽くし、捨て切っていく。

この、熱塊のような「三昧」の時間によって、
心の明鏡にこびりついた、
頑なな「我」の垢や錆がミジミジと蒸発し、
本来の、心の智慧が顕れてくる。

身も心も、また息を吹き返す。

道場に身を運び、
実際に坐を組むことの尊さを、
身体が、心が、想いだす。

【転迷開悟。(てんめいかいご)】
迷いを転じて、悟りを開く、と古人は言う。

日々の悩みや葛藤を糧として、
それを悟り(智慧)の豊かさに転じることで、
私たちの人間形成は一つずつ進んでいく。

また、【泥多ければ、仏大なり。】
との言葉もある。

悩みや葛藤が大きければ大きいほどに、
そこから受け取る悟り(智慧)の恵みは、
甚大であるとの意である。

娑婆世間の迷いのただなかに身を置いて、
切った張ったと毎日を生きながらも、

その都度に、「三昧」によって迷いを転じ、
自らの内に悟り(智慧)を見出していく。

社会人として、禅者として、
一番の基本は、

道場で身を正し、真剣に坐ること。

その日々の鍛錬を、
何度も、何度も、繰り返す。

やがては、その
娑婆と道場とがひとつの地続きになり、
ひいては、特段、迷いもなく、また悟りもなく、
今ここの、一歩ずつがそのまま、
自由の天地になる日まで。


松田大愚 九拝
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