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ブログ - 禅の歴史(2) 西天から東土へ   山沢幽渓(横浜支部)

禅の歴史(2) 西天から東土へ   山沢幽渓(横浜支部)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/9/18 20:39
「静坐による瞑想は仏教における基本的な修行法であり、坐禅の実践は禅宗に限られたものではない。」
「禅宗で最も重要なのは、釈尊の悟った真理を寸分違わず師匠から受け継ぎ、弟子に伝えて行くことである。但し悟道体験によって得られる真理は“不立文字”であって論理的な思考や言葉によって得られるものではない。釈尊は悟道してから涅槃に入るまでの49年間、数多くの教典を説いたとされるが、禅宗では“49年、一字不説”を主張しており論理を超えた“教外別伝”との立場をとり、真理の授受は悟道による“以心伝心”によってのみ可能としており、悟道した師匠の心にしか存在しないのである。ここに禅宗独自の伝灯の系譜が出来上がる必然性があった。」

・『禅』はインドでは28人に相承され、28代・菩提達磨が中国に禅を伝え、法を嗣いだ慧可から六祖慧能を経て、唐末から宗代にかけて展開する。その後、元代~明代初期(鎌倉~室町時代)、さらに明代末期~清代初期(江戸時代初期)に禅門が中国で最も隆盛を誇った時代であった。一方日本には、天智天皇の時代に、道昭が三蔵法師に学んで帰国し、奈良に日本最初の禅堂を建立する。その後平安末期から鎌倉時代に、栄西、道元等が中国に渡って学び臨済宗、曹洞宗として日本に伝える。また江戸時代には、中国、当時の明より隠元が来朝し、黄蘗宗を伝えるなどして日本で独自の発展をする。一方中国では清朝に入って禅宗は一時栄えたが、5代乾隆帝の時代に粛清を受け中国禅宗は去勢された。

・釈尊(紀元前500年頃):釈迦族の王子であった釈尊(ゴーダマシッダールダ)が菩提樹の下に坐して12月8日に明けの明星を見て悟道。
・摩訶迦葉(第1祖):禅宗における最初の師こそが釈尊であり、釈尊が弟子に対して行った伝法が「拈華微笑」と言う公案(無門関6)。ある日釈尊は弟子たちの前で華を手で持って差し出すが、仏弟子たちが訝る中、なぜか、これを見た摩訶迦葉(マカカショウ)だけが一人にっこりと微笑み、この瞬間釈尊の心から摩訶迦葉の心に正法が直に伝えられ、釈尊に印可されたと言う。これは心から心に直接伝えられると言うことから「不立文字」「以心伝心」などと形容された。ここから禅の伝灯が始まった。
・西天四七、東土二三:釈尊以後の禅宗の系譜はインドで28代、中国で6代続いたされる。
・菩提達磨:中国に禅を伝えた菩提達磨がインドにおける第28祖であり、中国での第1祖となる。520年頃、南インドの達磨は師の命を受け、中国に渡り中国の僧、慧可に法を伝える。
達磨は中国に来て最初に梁の武帝と対面した。その際の問答が「廓然無聖」さらに「不識」「無功徳」が知られる。武帝との対面が物別れに終わった達磨は長江を渡って北上し少林寺に入る。その際一葉の蘆に乗って長江を渡ったと伝説がある。少林寺に入った達磨は一言も口をきかず
黙ったまま九年間、壁に向かって坐禅し続けた。人は達磨を「壁間の婆羅門」と呼んだ<面壁九年>
・面壁坐禅:現在、日本では曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の3派の禅宗があり、曹洞宗は面壁坐禅であり、臨済、黄蘗宗は壁に向かない坐禅で対面坐禅と呼ばれている。釈迦は菩提樹の下で坐禅して悟りを開いたとされるが、勿論菩提樹の前には壁はなかった。それでは何故壁に向かうようになったのか。達磨の「壁観」を「面壁」と称すようになり、禅僧の坐禅を指すものとして用いられるようになったらしい。曹洞宗の道元は中国に留学中は面壁坐禅をし、現在の曹洞宗はそれを受け継ぐ。当時は臨済宗の僧も面壁坐禅をしていたようであったが、黄蘗宗は面壁をしておらず、江戸時代になって臨済宗も黄檗宗の影響を受け対面坐禅へと変わった。
・二祖・慧可:中国の僧、慧可が少林寺に達磨を尋ねて道を問うた。しかし達磨は黙ったまま取り合わなかった。そこで慧可は自らの左腕を刀で断ち切って求道の志を示した。慧可が自分の心が不安でたまらないので安らかにしてくれと訴えたところ、では、その安らかでない心をここに出してみよと求めた。慧可が不安な心はどこにも見つからなかったと答えると、達磨は言った、「ほれ、これで汝の心を安らかにし終わったぞ」この言葉で悟った慧可は達磨の法をついで東土の第二祖となった。
達磨から慧可に伝えられた法は、その後三祖僧璨、四祖道信、五祖弘忍、六祖慧能へと伝法が重ねられていった。
・六祖・慧能(唐、638~713):五祖は慧能に袈裟と鉢を授けて禅宗六祖とした。それから慧能を南方に逃し雌伏6年(676年)<六祖をめぐり、慧能と神秀の間で対立があった>、姿を現した慧能は院宗法師の涅槃経の講義を聞いた。夜になって一陣の風が吹き起こり、幡がはためいた。すると一人の僧が「幡が動いた」と言い、べつの僧が「いや、風が動いた」と言った。それを聞いた慧能が一言言った。「風が動いたのではない、幡が動いたのでもない。心が動いたのだ」これが有名な“風幡心動”の公案。
・六祖慧能の頃、645年には玄奘三蔵がインドより唐の長安に戻る。662年、道昭、唐で三蔵に学んで帰国し奈良に禅堂を建立する。日本の禅の初伝。(飛鳥時代)

参考資料;平凡社・日本のこころ239「禅宗入門」(2016)、NHKブックス35「禅―現代に生きるもの」紀野一義(1997)、講談社学術文庫「禅と日本文化」柳田聖山(1997)、『禅』誌2002~2016(多数)
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