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ブログ - 同じ高嶺の月をながめん   鈴木翠珠

同じ高嶺の月をながめん   鈴木翠珠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2018/7/16 16:45
 「平成」という一つの時代が終わろうとしている。そんな中、社会がオウム真理教への訣別を始めたのが記憶に新しい。縋るべきものが何か分からず、まがいものに吸い寄せられる人間は今後も後を絶たないであろう。
まがいもののかを区別する見方は道理に外れていないかどうか、である。太陽は東より出でて、西に沈む。花は咲き、虫は飛び跳ね、鳥は大空を飛ぶ。風は撫ぜたり、なぶったりしながら通り過ぎていく。雨や雪は潤いを与え、雷は天地を驚かす。陽は燦燦と降り注ぎ、夕日の後は夜の帳が万物を包む。万物は眠りにつき、やがて迎えるであろう朝に備える。この世に生を受ければ、死後土に還る。幾星霜と繰り返してきた理である。自然が織りなす神秘はあろうけれども、人が作る神秘は所詮方便に過ぎない。
 宗教は様々な道がある。人生を生き抜くための一つの智慧である。仏教という道。キリスト教という道。イスラームという道。世の中に人間がいればいるだけその道も多い。その道一つ取っても、いろいろな会派が存在して、何が何だか分からない。ただ、一つ言えることがある。
 「さし登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月をながめん」
 これは古歌である。(『禅の話』、白田劫石、p270、池田書店、1961より引用)
 面白いことに、彼の有名なガンディーも似たようなことを述べている。
 「『神は真理なり』と言うよりも『真理は神なり』といったほうがより的確です」
つまり、それぞれが異なる教えを説いているように見えるが、すべては最終的に一つの真理に行き着くということ。宗教の違いは道の違いであって真理の違いではない。
“From Yeravda Mandir” (邦訳『獄中からの手紙』、岩波書店、2010)
❄上記は『インドで読んだガンディー 身体全体で作品と交わる』、中島岳志、日本経済新聞、2018.6.30より引用
 ただ、まがいものへの注意は怠りなく。
 禅から見る「月」は如何なるものであろうか。
平成三十年文月
翠珠 記ス
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