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ブログ - 「何もしない」という贅沢   鈴木翠珠

「何もしない」という贅沢   鈴木翠珠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2017/10/2 21:15
あくせく働く現代において、「何もしない」人はほぼほぼ存在しない。電車の中においては様々な動作をする人に溢れている。眠る人、スマホ病者になっている人、化粧をする人、新聞を読む人、おしゃべりに興じる人、ぽーっとしている人等々…。人間、「何か」をしていないと、気が済まない。  しかし、本当にそうだろうか?呼吸一つ吐いてみる。身体の重心(「立っている」という感覚)、荷の重さ、目に映る景色、匂い、周囲の雰囲気…。どれだけ人は「環境」を感じ取っているだろうか?
 いつ何時も「何か」「何か」「何か」に追われていると、毒がじわじわ効くように段々思考も蝕まれてくる。同じことしか考えられない。偏った考えをしてしまう。偏見人の誕生だ!
 逆に、常に「自分の感覚」を見つめる人は、考えの花束がいっぱいある。余裕をもって幅広く考えられる。しかし、それが出来る人は限られる。
今、自分が「いる」ことを一つ一つ味わうことが出来なければ、「何か」にずっと追われ続ける。あれがしたい、これがしたいと囚われて、満足するということがない。「何か」と鼬ごっこだ。
坐禅をすれば、「今」を味わえるけれども、坐禅をしている時に限られてしまう。坐禅をしていない平常の時を過ごしても、「今」を味わい続けるー…。これは、全ての禅者の目指すべき境地なのかもしれない。そんなことを徒然思う今日この頃。
二〇一七年長月 翠珠記ス
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