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ブログ - お茶の歴史(4)佐々木道譽と闘茶   大塚慈香

お茶の歴史(4)佐々木道譽と闘茶   大塚慈香

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2017/5/16 9:34
この闘茶会を派手に演じた婆娑羅(バサラ)大名に近江の守護大名佐々木道譽(ドウヨ)という人がいます。
佐々木道譽が京都の京極屋敷で七カ所に珍奇な唐物茶器を飾り七種の闘茶会の準備をこらし、七百種の賭物の景品を山と積み上げ、七十服の本非を飲み比べる趣向の様子は太平記に詳しく書かれていますが、豪奢を極めたものだったそうです。
また、道譽の愛玩した唐物(カラモノ)は現在も大(オオ)名物(メイブツ)として作物(ツクモ)茄子(ナス)、京極茄子、打曇大海という銘が付けられて美術館に、その美しい姿を見せています。闘茶は室町中期に到るまで大流行しました。
 室町初期の闘茶には風流と共に茶道的な美の芽生えがありました。我が国には歌道と称する古代からの伝統的な国粋文芸が有ります。鎌倉時代藤原(フジワラ)定家(テイカ)と文芸を愛する人々によって歌合(ウタアワ)せの形式となり、更に連歌会の方式へと発展しました。連歌は室町中期東山時代に宗(ソウ)祗(ギ)によって大成し今日迄続いています。
 室町中期東山時代はあらゆる部門において国粋的な芸道が成立した時代です。立(リツ)花(カ)は昔聖徳太子が霊(レイ)夢(ム)により京都の池のほとりに六角堂を建て、自身の念持仏の如意輪観世音を祭り、小野(オノノ)妹子(イモコ)に守護を命じました。義政の頃の十二代専慶は立花の名手として歴史に名を残しています。香道は堂上(ドウジヨウ)公家(クゲ)は三(サン)條(ジヨウ)西家(ニシケ)の御家(オイエ)流(リユウ)、武家一般は志野流志野宗信となっていました。 茶道が国粋的な芸術として成り立ったのもこの時代です。お茶の書院飾りも佐々木道譽によって始まったという事です。
 道譽は悪名の高い人でしたが、闘茶、歌道、香道、歌舞、音曲に至るまで趣味の広い風流人であったようです。
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