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ブログ - 大学二年の時に始めた禅(後)   古江龍巖

大学二年の時に始めた禅(後)   古江龍巖

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
八王子支部 2017/3/19 19:00
しかし、人生、思ったようにはいきません。そうです、何度も納得したは良いものの、肝心の生き方は、変わらないのです。頭で、知識で、文章で分かっただけで、生活は何も変わりませんでした。行為も悩みも、何も変わりませんでした。
まさに西田が言っているように、主観客観、知情意(知性・感情・意志)が一体となった状態、自他を忘れた集中状態にいつでもいられるのでなければ、いくら頭で分かっていても意味がないのです。偽我が知識を蓄えただけなのです。
西田と言えば禅です。僕はこうして禅に辿り着きました。「何が正しいのか」「何のために生きるのか」「本当の自己とは何か」、これらを求めて、禅の修行をするようになりました。禅を始めてみると、思想、知識なんてまったく役に立ちません。頭ではなく、全身で、全力で、とにかく坐るのでした。とにかく湧き続ける雑念を切り捨て続けるのでした。もちろん、西田の思想を読んだからこそ、僕は禅に大きな期待をかけていて、そのことが修行を頑張るエネルギーになることはあります。けれども、頭で分かることと、禅を通して全身で追求してゆくこと、身体で分かることは全く違います。 これらの疑問に、僕はまだまだ納得のゆくものは見つけられていません。しかし一年半ほど修行を続けて、とにかくこのまま、勉強や仕事と一緒に禅の修行を続けて行けば良いのだ、これら全てに全力を尽くそう、そう思えるようになりました。毎日何をすべきかが、はっきりとしました。毎日坐禅をし、やるべきこと、やっていることに全力で向き合って、日々真剣に生きることです。これが本当に難しいです。だけれども、本当に追求すべき価値があるものだと思います。

禅にはどんな効果があるのか。すぐ寝付けるようになった、集中力が上がった、いらいらすることが減った等がすぐには思い浮かびます。あとは細かいことが気にならずに前よりもさっぱりと生きられるようになったとか、そんなこともあります。泊まり込みの修行の時、他では味わえないような喜び・満足を感じることもあります。「目的だとか効果だとかのために禅をするようじゃだめだ」なんて話をお聞きしたこともあります。
こればっかりは、少しずつ、何度も何度も、坐禅をして、みなさまご自身が自分で感じてゆくよりほかにはないでしょう。道具も準備もいりませんので、是非一度だけでも坐っていただけたらと思います。

みなさまとご一緒に修行ができることを楽しみにしております。
 合掌 古江龍巌 九拝
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