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個性とは?   加藤紫光

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執筆 : 
八王子支部 2019/11/2 21:10
 個性とは何だろう。辞書には、「他の誰とも違う、その人特有の性質、個人性」とある。
 中学の時、私は自分が何者か、何か長所と言えるものはないか、自分の中に確たるものが無くて沈んでいた。長所があるとすれば音楽好き。ピアノとフルートができる。運動はダメ。勉強は人並みにしていたので、ちょっと背伸びをして高校は進学校に入り、ブランドを手に入れた。親は喜んでくれたし、中学の友達は多少尊敬の念を持って見てくれた。しかし、高校に入って、まわりは色々なことに秀でた、それこそ個性的な人が多く、私の個性はどんどんしぼんでいった。他人との比較ばかりの日々。自分のアイデンティティー、ほんとうの自分、自分らしさを持てない。本当の勉強とは何?
 大学受験は苦しかった。しかし、入学した中央大学で五葉会という禅のサークルに入会、サークルとつながっていた人間禅に入門し、自己を確立することができたから、仏縁に恵まれたことは有難い。もちろん、禅も一直線に進めたのではなく、人生いろいろな中で、ああでもない、こうでもない、という迷い日々もあった。しかし、禅の修行を続けてきて、今本当に良かったと実感する。心とは、アイデンティティーとは、自信とは、そして個性とは、に答えが出た。
 誰もが持つ心というものをつかみ、育てるうちに、自然と力が生れみなぎり、一瞬一瞬、目の前のことに全力を注ぎながら、木を見て森を見ず、という状態にもならないように取り組む。道場には、「日々新たにして日々新た」という言葉があるが、日々新たな発見の連続で、自分の中の心を育て、成長していくことが楽しい。
 個性とは、自分に自信を持ち、研ぎ澄まされた感性を持ち、さまざまな人と切磋琢磨し色々なことを吸収し学んでいく中で、独自のものの見方や言行動が生れるところに現れるのではないか。
 心に芯ができる、アイデンティティーが確立される。禅は他者との切磋琢磨はもちろんするが、他者との比較ではない、絶対的な自己の確立を目指す。禅は、さまざまな問題意識に答えを出すだろう。
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心の状態を整える「禅」(メディテーション)の、もっとも基本となる3ステップです。
心の波立ちや感情のざわめきを鎮めて、磨きぬかれた「鏡」のようなクリアな状態にすることによって、夜空に浮かぶ満月を、鮮やかに、ありのままに映し取ることができるようになります。
曇りなき心の状態に近づくにつれて、自分の偏見やエゴ(我見)を入れずに、
ものごとの真の姿を映しとることができるとともに、自分自身の内なる声(ボイス)をも、
よりはっきりと聴き取ることができるようになります。

1:「調身」 ➜姿勢を正すこと。
背筋を伸ばし、地球の中心から垂直に立てることで、
感情が静まり雑念が入りにくくなります。
身体の使い方は、感情の状態と密接にかかわりあっていて、
落ち着いた所作や振る舞いは、心の安定を反映させたものでもあるのです。
最初は意識して姿勢を整えることで、慣れてくると習慣的に、
姿勢と気持ちを整えることができるようになります。

2:「調息」 ➜呼吸を整えること。
ひとつ、ひとつの、呼吸をゆっくりと数えることに集中していきます。
吸って、吐いて、いーち…。吸って、吐いて、にーい…。
途中で切れ目なく、できるだけ雑念が入らないように、
「身体」と「呼吸」と「意識」をひとつに重ね合わせていくこと。
それ以外の考え(雑念)が浮かんだ時には、「自覚」をして手放します。
雑念(最初の一念)が浮かんだことをモニター出来ている意識の状態がとても重要であり、
そうすることによって、エゴ(自己中心的な意識)の罠を、回避できるようになるのです。

3:「調心」 ➜心がクリアになること。
リラックスしつつ集中した状態が深まると
「三昧」(サマーディ)という意識の状態に入ります。
(スポーツで言う「ゾーン」の状態)
この「三昧力」を深め育てていくことが、「三昧」の3つの側面をさらに強化し、
ブレない自分を鍛えていく大きな鍵になるのです。
そして、その「三昧」の状態をつうじて、私たちは内なる「源」(ソース)に
つながることができるようになります。
松田大愚拝
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坐禅から学ぶもの(6)   大石如法

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執筆 : 
八王子支部 2019/10/14 22:25
無意識のコントロール

 考えてみますと、世の中の事象というのはコマ送りのように進んでいます。瞬間、瞬間、瞬間、その連続です。なにかに集中していましても、パンッと手を叩けばそちらに意識がいってしまう。私が「こちらを見てください」と言えばこっちに意識がいきますね。そうやって心が働いています。
 ただ、思考しないでいただきたいのです。例えばパトカーの音がしても、パトカーだと思わない。そこには音がしているだけです。匂いがしてきても、「ウナギかな」とか「カレーのにおいだ」とか妄想を働かさない。私たちは実際に目の前にあるわけでもないのに、自分で妄想してしまいます。なかなか難しいとは思いますが、ただ聞く、ただ匂う。感覚をしっかりと使っていただきたいのです。わかりやすく申しますと、お茶を飲むときには、自分の心は舌先にあります。お風呂に入ったときには、肌に心があるのです。
 坐っていますと足がしびれて痛くなります。でも苦しいと思わない、痛みと苦しみは違います。最近のお葬儀で、参列のみなさんは椅子に坐られますが、お坊さんだけ座布団に正座ということがございます。お経が終わってお坊さんがちゃんと立ちますと、「やっぱり偉いね」なんて言われるわけですが、こちらは、自分の足がどこにあるのか探すような状況です。でも、分からなくなってから自分の足を探すようではダメなんです。分かるうちに探しておく。それで分からない状態にならないように無意識にコントロールするのです。
 また早朝に坐禅をすれば眠気がくるときもございます。でも眠気を押さえられないということは、心に隙がある。または興味がないということです。楽しいときは眠たくなりませんよね。それでもどうしても眠気が来ましたら、その時は警策(きょうさく)で叩かれてください。そうしましたら、自分は眠たかったんだな、ということが分かります。
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五戒の一番目は、嘘をついてはいけない。
これは正しく・楽しく・仲良くの中の、正しくになります。
人間として他に対して嘘をつかないと言う事は当然の事と思いますが、此の嘘をつかないは、自分で自分に嘘をつかない、と言う事です。平生普段の生活の中で、今日は是をしよう、あれをしようと自分で決めていながら、中々その通りに実行することは大変であり、難しい事であります。これは将に自分で自分に嘘をつく、と言う事になります。人間として生きて行く中で、これほど難しい事は無いのではないでしょうか、我々人間禅では、一日一炷香を実行しようと言う事を云われますが、本当に実行できておりますか、反省しなければなりません。
一日線香一本座禅しましょうと言う事を実行する、毎日の積み重ねが、人間形成には必要不可欠です。他人ごとではありません、一日の反省の糧に、五戒を実践したいと思います。
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坐禅から学ぶもの(5)   大石如法

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八王子支部 2019/9/27 22:15
ただ、目の前のことをする

12月のことを臘八(ろうはつ)といいますが、全国の禅宗の道場では、12月1日から7日の夜中まで蠟八摂心という坐禅に明け暮れる日々を送ります。私も道場に上がりましてから、15,6回ほど臘八摂心を修行しました。これはお釈迦さまが菩提樹の元で坐禅をし、12月8日の明けの明星をご覧になって悟られたという故事に習って行なわれるものです。
 日本に坐禅を伝えられたのは、臨済宗をお開きになった栄西禅師、また私たちの高祖さまであります道元禅師らによります。道元禅師は32歳で留学先の宋から帰国されますと、その第一声が仏法とは何かといったら「眼横鼻直(がんのうびちょく)」だとおっしゃった。つまり、眼は横に鼻は縦についているという人を食ったような話なのですが、でも考えてみればその通り。仏法というのは、「当り前」のことなのです。
 坐禅をしながら、悟りを開けるのではないか、もしくは、仏や神がどこかにいるのではないかと探り出しますと真髄から逸れてしまう。
 道元禅師の主著の一つに『普勧坐禅儀』がございます。これは普く坐禅を勧める指南書で、福井の大本山永平寺にご真筆が所蔵され国宝になっています。
 坐禅中に『普勧坐禅儀』をお読みすることがございますが、次のページをめくって、「まだずいぶんあるな」なんて考えてはいけないんです。実にこういうことが一番だめ。ただ目の前のことをする。それが坐禅であり三昧ということです。『普勧坐禅儀』をお読みするなら、一語一語きちんと読んでいくのみです。
 私どもも坐禅をして最後にこれを読みます。夜の8時45分頃から、道場ではいつも夜坐の終わりに読むのですが、「たーずーぬーるーにー」と・・・、思わず眠りたくなるゆっくりさ。でも眠くなるということは、どうも心にちょっとした隙があるときに現れるようです。『普勧坐禅儀』を読み終わったあとの坐相 はみんな良い。無心になってお読みすることで、心が落ち着いた良い坐相になります。
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今回の静座会には、いつも来て下さるベテランの方3名と、新しくいらした方2名がいらっしゃいました。新しい方と座禅の後の茶話会で、禅の話をしました。
おふたりとも働き盛りの男性で、おひとりは忙しい毎日への対応に禅に関心をお持ちになり、もうひとりの方は癌の疑いがあったことなど身体の不調が2度程あり、苦労されているとのことでした。死を意識するようになって生きる意味を問うといった思いが出てくるのではないか、という話になりました。
クリエイト静座会は、月2回実施していますが、新しい方向けに、通常45分座禅するところ、短い25分を3回座禅することにしています。初めての方でも気楽にいらして下さい。足が痛ければ椅子もあります。難行苦行ではありません。静座会は座禅体験もできますが、いかに生きるかを問うとか、心とは何かなど、様々な問題意識にも答えが出せ、禅の蘊奥を極めた老師に指導していただける修行にまで踏み込む道も開かれています。是非ご参加下さい。

クリエイト静座会、今後の予定は、
10月6日、27日、11月10日、24日の日曜日です。
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「仲よく」とは、法理的には、この世の人も物も全てを含め、それぞれ差別のあるがままの事事無碍法界の世界の有り様をさしており、ほんとうに「仲よく」できる人の境涯とは、見性了々底の観音菩薩の高い境涯になるのであります。
 「仲よく」とは、自と他の間の畦が切れていなければ、ほんとうの「仲よく」は皮相的、道徳的になってしまいます。
 すなわち、「仲よく」はお釈迦様の悟りの当体である「正しく」に裏付けられているものであり、「正しく」とこれも切り離せないものであります。
 耕雲庵老師は、また別のところで、「仲よく」が一番難しい。どうか末永く人間禅会員は、仲よくしてくれ!それを祈念する。といっておられます。
 「正しく・楽しく・仲よく」の集大成が「仲よく」に現れるということでありましょう。人間禅の中、支部の中、禅会の中、夫婦間において「仲よく」を見れば、禅者の真贋を見ることができるというものであります。そして豊かな仲の良い友人・人脈がその人の周りにあるか無いかは、その人の人間の香りと有徳(ゆうとく)の証(あかし)として、この「仲よく」の境涯が、覗(うかが)われるものであります。
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坐禅から学ぶもの(4) 大石如法

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八王子支部 2019/9/3 20:06
 いずれにしましても、僧堂というところは禅の命脈を保っているところです。最近は優しくなってきた、昔のほうが厳しかったと言う方もおりますが、こういったことは人々がずっと言ってきたことであります。きっとこれから先も、同じようなことを言うんですね。ですから、それほど大したことではないということです。
 私たちは、歳を重ねるにつれ徐々に大人になってまいりますが、修行道場では、最初に自分が役に立たない赤ん坊のようだということを知るんです。己の未熟さをこっぴどく怒られるんです。人間は怒られたときに腐らなければ成長します。誰にでも怠け心がございますが、これは精進というものによって埋められる、そういうことを学ぶんです。
 道場で長いことお世話になったお陰さまで、こうして僧侶としてお勤めさせていただいております。また、坐禅の修行をすれば、お釈迦さまや道元禅師が坐っていらした姿と同じようなことが追体験できる。法孫・仏弟子として、最も感激なことでございます。
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「楽しく」とは、これも世間の中での苦とか楽とかではありません。
「楽しく」とは、自己に合掌することであります。
自己に合掌するとは、自己の仏性に合掌する事であります。端的にいうなら見性成仏することであります。これがほんとうの(Buddha)(仏陀)に帰依したというものであります。ここに於いて始めて、法喜禅悦を感じ報恩・感謝の念が起こるのです。これ程楽しいことはないのであります。
人間禅第一世総裁耕雲庵老師曰く「一体、人間がこの世に生棲(せいせい)する上に於いて、完璧とか充足とか大成とかをもって楽しいと考えるならば、恐らく永遠に楽しいと感ずる時はないでしょう。そこに宗教の世界が展開せられるので、宗教ではありのままの姿に法喜禅悦を感じ、現状に於いて報恩感謝の念を生ずるのであります。つまり“それでよいのじゃ”と満足するのであります。他力的にいえば、何も彼もお任せするのであり、自力的にいえば、悟了同未悟に徹するということであります。これをつまり仏に帰依したといい、自己に合掌したというのであります。これが真の満足であり、ほんとうに楽しいことなのです。」と云われております。良く味わって戴ければ有難いです。
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坐禅から学ぶもの(3)   大石如法

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八王子支部 2019/8/19 16:01
 四国も歩いて周りました。京都にも足を伸ばしまして、臨済宗の天竜寺さまでは平田精耕老師、建仁寺さまでは湊素堂老師に教えを請いました。湊老師の参禅会に参加した際、一枚のかわいい子どもの絵を頂きました。この絵を見て、ちょっと境地が違うなと思いました。さらにお寺全体の掃除が行き届いています。良い道場というのは、裏に行けば分かるんです。建仁寺さまでお手洗いをお借りしましたら、台がありまして、毎日毎日何年も雑巾で拭いているせいか、ぴかぴかなんです。ぱっと天井を見上げましたら顔が映るんです。天井も雑巾掛けしてあるんですね。これは本物だと思って「来年の春から来ます」と言いました。宗派が違うわけですが、そんなことは関係ないのです。よろこんで迎えて下さいまして、また一から修行です。そんなことで何年か過ごした後、最初の最乗寺さまの余語翠巖老師の元に戻りました。そこで八年過ごしまして、さまざまなご縁をいただきました。
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