東京・八王子で座禅の体験 人間禅 八王子禅道場 - 最新エントリー
メインメニュー
検索

ブログ - 最新エントリー

(2)侘び茶の深化
 珠光の孫弟子の武野紹鴎は、この珠光流の茶の湯を実践し、さらに侘び茶へと深化させていきました。また若いとき、和歌を学んでいましたので、その教養が茶の和風化をさらに進めました。
 なお、さらに重要なことは、堺の南宗庵の大林禅師に師事して禅を学び、茶味と禅味が同一であることを体得したのです。
 紹鴎の残した有名な『侘びの文』には、「正直に慎み深く奢らぬ様を侘びという」とありますが、自在鉤、あるいは鉄瓶の水差、あるいは木を曲げた輪っぱの建水、竹の蓋置など、侘びの美、麁相の美をいちだんと深めて、座敷飾りを質素にしたのです。格式高く楷書のようにくずれのない書院の美に対し、山里の侘び住まいの草庵にみられる草の美を茶の湯の美として好んだわけです。
 『南方録』には、紹鴎が、侘びの心を新古今集藤原定家の歌「見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」で示したことが残っております。華やかで美しい花紅葉がすでに枯れはてた晩秋の夕暮に、人里はなれて一軒のあばら家がたたずむ景色、枯れ枯れした閑寂の世界、この趣きこそが侘び茶の心であるとしたのです。つまり、物質的なにぎわいを否定し、そのとらわれから脱した枯淡の境地、それは禅で言う無一物の境地といってよいと思いますが、それを茶の湯の心としたわけであります。
 また、紹鴎は、茶の湯は道を得るための行であると明確に規定していまして、それを、「一心得道の取り行ない、形の外の技」という言葉で表しています。茶を点る時は、順序、作法などの技法によって進められていきますけれども、そういう眼にみえてくる道具や寸法、所作、手順などの形にとらわれない、むしろそれらを超えたところの心の技の重要性を指摘したのです。茶の湯の精神性を強く主張したのです。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (10)
新型コロナウイルスの感染防止のため、4月5日(日)、19日(日)のクリエイト日曜静座会は中止とします。上記の静座会の案内は5日分掲載されていますが、削除ができなかったためであり、中止ですのでお間違いのないようよろしくお願い致します。コロナが早く終息するよう祈っております。
八王子座禅会 加藤葉子
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (16)
(1)侘び茶の創始
 芸術的な風雅な遊びを楽しみ、東山文化を興した足利八代将軍義政は、いわゆる芸術上の顧問ともいうべき同朋衆の能阿弥とともに、書院広間での点茶の方式を定めました。この書院の茶は、舶来の唐物の道具を用いて、非常に格式の高い、異国趣味のあふれた高貴の茶式でした。一方、茶の生産がふえ、民衆にも普及してくるにつれ、道具や格式、作法にとらわれない下々の茶が流行してきました。そして義政に仕えた村田珠光が、書院の茶、下々の茶などすでにあった茶式を統括して、新しい方式を定め、茶の湯の今日の基礎を築きました。
 珠光は、京都の商人の出ですが、のちに大徳寺の一休禅師について禅を修行し、そこで体得した禅の心によって、簡素な茶の湯を創立したのです。珠光は義政の建てた銀閣寺東求堂に、日本最初の四畳半の茶室を設け、豪華な広間の茶から、道具を飾りつけるゆとりの少ない、また客と主人の心が通いやすい狭い部屋へと優れた工夫をしたのであります。
 大和の古市播磨に与えた珠光の茶の道を示す『心の師』の一文のなかには、「此道、第一にわろき事ハ、心のがまん(我慢)がしやう(我執)也」とあります。我慢、我執とは、我がまま、強情という意味ですが、茶室で、亭主と客が心を合わせて茶を楽しむためには、互いに慎み深く自分の我をころして相手の立場を尊重することが最も大切であると教えたのです。
 また、同じ文中に「此道の一大事ハ、和漢のさかいをまぎらかす事、肝要々々」と述べて、茶の湯の和風化、国風化を唱えました。中国渡来の喫茶の法や唐物の道具飾りなどを、日本の風土や日本人の好みに合ったものに変えていったわけです。国内で焼いた備前、信楽などのもつ侘びた麁相の美、質素、素朴、自然の趣きの美を、控え目で慎み深い心のあらわれとみて尊重したのです。氷え枯るる風情の美を茶の湯のなかに取り込んだのです。
 こうして、身近なありあわせの道具を使い、ともすれば物質的な関心にとらわれがちな傾向を、精神的な豊かさに眼をむけるように努めたのです。珠光は茶祖と呼ばれますが、今までの高貴で格式ある茶の方式から、心を求め、道を探ぐるという精神性の高い茶の湯に導いたのでした。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (8)
 さて、本来の茶の湯とは一体どういうものでしょうか。今まで茶の湯と言い、あるいは茶道とも言ってきたのですが、その本来あるべき姿はどういうものでしょうか。
 まず東洋では、いろいろの分野に道という字をつけて呼びますが、茶道をはじめ、剣道、柔道、合気道などの武道や、書道、華道などの芸術的なものに広く用いられます。これが剣術でなく、あるいは茶術や書術でなく、なぜそれぞれ道とつけて呼ばれるのかといえば、それらの技術や芸能というものを通して、人間を磨いていく道の意味を含めているのです。単に小手先の技の修練、熟達に止まらす、その行を通じて人間らしい、本物の人間を完成していくために通る道を指しているのです。
 そして、重要なことは、それに応えるに十分な精神性の高い理念と、永年にわたって培われた方法・技術の内容実質を備えた東洋独特の分野の道であるということです。
 では、茶の湯が茶道として、どのように成立してきたのか、その成り立ちを簡単にふりかえってみたいと思います。茶の味わい、趣きを深く理解するためには、茶道の創立を担った人びとの精神にふれることが重要だと思うのです。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (23)
(3)茶の湯の女性化②
 ところで、利休に帰れの提唱は、単なる復古の主張ではなく、利休の創造的精神にも学べということですから、現代にふさわしい革新への道を閉ざすはずのものではないでしょう。如何なる伝統文化であっても、時代の流れに従い、時の人びとの好みに導かれて変容していくのが自然ですが、それはあくまでも本質を見失わず、質の低下を許さないものでなければならないのは当然です。日本文化の粋として世界に誇るに足る本物の茶を、異国趣味に終わらせる事なく、正しく伝えるにはどうしたらよいか。もちろん四畳半の小間の茶を味わって頂くことが最良の方法には違いありませんが、これは少数の限られた人びとにしか許されません。そこで私の期待したいのは、現今の大寄せの茶会があまりに儀礼、社交の面に片寄り過ぎている点を改めて、茶のもつ芸術性・精神性をもっと強調し、総合的にその調和をはかる茶会の試みであります。利休の創造的精神にならって、新しい現代の茶会が生まれることを望みたいのです。
 茶の世界における女性化は、そのよしあしを別にして、茶道界を支える大きい力になっているのです。今後、どのような推移をたどって、女性が茶の進展にかかわっていくか注目されるところなのです。茶道教授を職とする多数の女性がすでに育ち、また後に続く女性も少なくない現状でもありますから、女性の自覚的参加によって、女性化による問題を克服して、茶道文化の正しい発展に寄与していくことが望まれるわけです。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (209)
新型コロナウイルスの感染防止のため、3月1日、15日の日曜静座会(八王子クリエイトホール)は中止とします。間際で申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。 八王子座禅会 加藤葉子
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (388)
(3)茶の湯の女性化①
 現代茶の湯が流行しているのにもかかわらず、その内実においてすたれつつあるとすれば、その要因はどこにあるのでしょうか。
 時代の潮流の影響を受けていることはいうまでもありませんし、もちろん茶の湯の伝統を支えている人びとの責任が大きいのですが、ある人が、茶の湯の堕落は、茶の人口の女性化にあると指摘しています。一般のあいだに茶の湯が普及し茶はあたかも女性の占有物のようなありさまとなってきています。昔、茶席に女性が出ることさえ許されなかったことを思えば、隔世の感があります。
 茶の湯の普及の歴史をふりかえってみますと、結婚前に女性が茶を習うという風習が、明治以降の良妻賢母を育てる教育方針に伴い徐々に定着して、女性の茶人口が増加してきたのです。第二次大戦後は、女性解放、女性の経済的自立の潮流にのって、華道や舞踊などの他の伝統的芸能や、その他あらゆる分野の傾向と同様に、茶の世界への女性参加が急激に進んできました。学校、職場、社会のさまざまの教育分野で茶を稽古する女性の数が、かつてないほど多数にのぼってきたのです。
 このような大衆化が俗化につながりやすいのは茶の世界ばかりではありません。急速に進んだ生活様式の西欧化、利便化とともに、このような女性化が茶の世界に影響を与えずにはおかないでしょう。本質を見失い、趣味に止まり、遊芸に堕していると指摘される現状のなかに、たしかに女性化のひき起こした問題があるといえるでしょう。
 東洋的精神は茶道にもとづくもの、と主張した岡倉天心の『茶の本』などを学び、東洋の心にふれる期待をもって訪れる欧米人が日本の茶に接して、「どうして本当のお茶を私たちに御馳走してくれないのですか」と問いかけると聞きますが、たしかに、セレモニーとして、外国人を接待する今の茶会では、若い女性が着飾って、はなやいだ雰囲気のなかでお茶がすすめられますから、点茶の作法や特異性や、日本文化のはなやかな美に対して異国情緒は感じ取れるでしょうが、これでは本当のお茶をと言われるのも無理からぬことです。最近一般化したいわゆる大寄せの茶会では真の茶味は味わえないと思われるのですが、 茶会はほとんど大寄せとなってしまいました。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (267)
(2)茶の湯の現状②
 本来、茶の湯は、決して日常生活と縁のないぜいたくな遊芸ではありません。道具の多少や華美な衣装を誇る場でもありません。道具はありあわせ、衣服は清潔であれば十分です。茶室がなければならないことでもありません。利休当時の茶の湯の精神が失われてしまうことを恐れて、心ある人びとが、徳川時代以降引き続き、「利休に帰れ」という提言主張をしておりますが、現代においてはその必要がとくに強く感じられます。
 現代の日本は、物質的繁栄を追い求め、そこに価値を見出している時代で、その上に人間の幸せが築かれると考えております。たしかに、その成果として、貧困や無知や病気からかなり解放されてきていますし、大部分の国民は中流意識をもって、その繁栄を謳歌するに至っています。しかし、その反面、心の病む時代、心の貧しい時代ともいわれております。猛烈に働く今のサラリーマンの二十パーセントはうつ病の予備軍だと指摘されるほどですし、家庭で、学校で、社会で、さまざまな病理現象が急速に吹き出してきています。
 物質の洪水とその束縛から離れ、病める心の健康をとり戻すために、現代の人びとの心をとらえている価値観を、この辺で転換する必要がありはしないでしょうか。このような価値観の反対にある価値観が、利休の大成した侘び茶道のなかに見出されます。金で買うことのできない、かけがえのないもの、茶の世界にはそうした素晴らしい豊かな精神性、価値観が培われているのです。「利休に帰れ」という提唱は茶の世界に限らず、現代の社会の人びとにとっても重要なことのように思われるのです。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (273)
~スリップウェア作家 ボウエンさんに会うの巻~

以下、東京民藝協会の例会で気付かされた事実を記していこうと思う。
「スリップウェア」と聞いて連想するものは日本民藝館(駒場東大前)のあの品。体の横幅分もある長方形の形をした黄土色の大皿である。黒色の波目模様がゆらゆらと流れている。パイを焼くための皿。「魔女の宅急便」(スタジオジブリ、1989)で出てきたようなパイが出てくるのかしらと想像しているあの品。
 辞書で言葉の意味を調べてみる。

  スリップウェア(slipware)
  「装飾陶器の一種。化粧がけ陶器ともいう。陶器の素地に泥漿釉(スリップ)をかけ、いろいろな装飾文様を施した陶器。その最古の作例は古くローマ時代にまでさかのぼるが17世紀以来ドイツやイギリスにおいて盛んに作られた。また東欧や中央アジアの民芸陶器にも多い」 ブリタニカ国際百科事典(2011)

 まだまだ知らぬ世界を知るために、ギャラリー・セントアイヴスの11月例会に勇んで出掛けて行った。お題は英国のスリップウェアの作家である「クライヴ・ボウエン氏の実演とお話」。イギリスの土は色にほとほと徹するようだ。黒・黄土色・黄・緑・赤があり、同じ色に別の色の存在は微塵も感じさせない。色に徹するからこそ色の対比が美しく出るのだろう。ちょうど会場では「柴田雅明 クライヴ・ボウエン 二人展」を行っており、日英の陶器の比較ができて興味深い。
     例会で印象に残ったのはボウエンさんの実演。タイルに次々に絵付けをしていくのだが、その手捌きといったら!絵付けというと筆でさらさらと描くものと思っていたがそうでもない。何でもあり?の世界のようで櫛(コーム)、果てはお好み焼きのマヨネーズが入っていた3つ口?チューブも絵付けに使う。「さっ、さっ、さっ」という言葉が適当なようにカニ・魚・波目模様等を実に楽しげにそれに手早く描いてくれる。速さの秘訣は描き慣れているということもあるのだろう。加えて模様の一つ一つにボウエンさんのみならず、ボウエンさんの中にある作り手達の魂が混じり合っているからのようにも感じる。実に迷いがない。模様は産み出されるのを楽しみに待ち、簡素にのびのび産まれてきた。楽しげな様子は見る者にも伝播するようで、ボウエンさんの大きなあの手から一体次は何が産み出されるのかワクワクしながら見守った。
唐突に思う。これが「作る喜び」かと。日本民藝館の丹波焼の記念講演会で流れた柴田雅明さんの作陶の映像も重なる。今までやや厳しい面持ちで作陶していたのだが、窯から焼き上がった品々を一つ一つ手に取っては「良し」「良し」と言い、晴れ晴れとした笑顔で手に取るその姿。聴衆皆からも笑顔がこぼれた。
普段の生活を省みるに、自分の手からモノが産まれ落ちる際、喜びを持って見守っていただろうか?と。毎日の掃除をする際に義務感だけで行っていなかったか?扱った掃除用具、きれいになった床・何よりもそのものの空間をきちんと見つめていただろうか?何の感慨もなく、こなしていたのだとしたら人間ではなく、機械のような心だったのだろう。
作られたモノには喜びが添えられている。出来上がったモノを見ている生活だけでは気付かなかった視点だ。単純でありながら厳然とした事実にしばし愕然としたのであった。
民藝という切口であるものの、禅にも通じる切口である。一体禅と何の関係が…?と思われる諸君、そういうことだっちゃ。在る。ただそれだけで有難いのだ。
  翠珠 記ス
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (417)
(2)茶の湯の現状①
 ところで、現在、茶の湯の現状はどのようでしょうか。それは一口にいって、これから私が述べる本当の茶の湯、茶道というものからは大分遠いように思われます。
 茶道第一の書と言われる『南方録』の滅後の巻にはすでに、利休の言われた言葉として、次のように記されております。
「十年ヲ不過(すぎず)、茶ノ本道捨(すた)ルベシ」。この意味は、自分の死後、十年もたたないうちに、茶の本来の姿はすたるであろうというのです。そして、「スタル時、世間ニテハ却而(かえって)茶ノ湯繁昌ト思ベキ也」と続いています。本来の茶道の姿が見失われて行くであろうけれども、そういう時はかえって茶の湯が繁昌して、多数の人が関心をもつに違いないというのです。
 『南方録』は、利休の弟子南方宗啓が、平素の師の教えを書きとめた、いわゆる聞き書きですが、滅後の巻は利休の三回忌に際して書かれたと伝えられます。たしかに利休の死後、茶の湯は、その創成期の生き生きとした息吹きを失い、だんだんと硬直化、形式化の道をたどり、先人の遺した形や寸法に固執するのみで、自由な茶の心を失ってきているといわれます。
 利休流の茶の湯は、その子孫や弟子によって多数の流派に分かれて伝えられてきましたが、現在、茶を習う人口は今までにないほどの多数にのぼって、まさに繁昌しております。とくに婦人が好んで稽古をするようになりましたので、一見まことに茶の湯の世界ははなやかに隆盛しています。しかし、このように普及してきますと、安易に流れやすく、稽古事として、点前の順序や道具の扱い、作法を覚えるに止まって、茶道の本質が忘れ去られていくのではないかと思われます。
 元来、日常茶飯事の言葉の通り、茶の湯は日々の生活の営みに深くかかわってくるはずなのに、特定の茶室のなかや茶会のいわゆる晴れの場に限られて存在すると錯覚してきてはいないでしょうか。さらに茶会を催す折に、道具屋より目新しい高価な道具を備えて借りる風潮がみられると聞きますと、「茶の道すたるべし」の指摘の通りといわざるを得ないのではないかと思います。
 ある人は、このような稽古や茶会の現状を茶の湯の疑似体験と酷しく批評しております。にせの体験というのです。せっかく茶の稽古によって学んだ技法や心入れを日常生活に生かすまでに深めないならば、単なる手すさびに終わってしまうのです。一時の体験に止めてしまうのは、あまりにも惜しいことです。永年にわたって茶の湯を生活に浸透させ、それによって人間形成していくことが望まれます。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (314)
Copyright © 人間禅西東京支部 2007-2013